「人吉くんは、どっちが勝つと思う」
神棚に置かれたテレビ画面を、焼き鳥の串でついと指しながら宗像先輩はたずねた。
ざわつく居酒屋店内、普段はたいして見向きもされないそのチャンネルがめずらしく注目を集めるのは、
国政選挙の開票速報が流れているからだ。
投票日の午後八時を半刻ほど過ぎた頃、どのテーブルでも話題は参院選のことでもちきりである。
むろんそれは、仕事帰りに飲みに誘った俺と先輩が向かいあうこの禁煙席でも。
「や、どっちですかね~。出口調査じゃ××党が強いんでしょ」
「まあ、そりゃあそうだけども。昨日の失言も響くかなと思って」
「ふむ。今日の出足で情勢変わるかもしれねーか」
まだ重いとっくりを持ち上げ、俺は向かい側にある空のおちょこになみなみと酒を注ぐ。
すまないねと少し赤くなった頬をかいて、くっと一口でそれをあおる先輩は、えらく様になっている――
甚平を着こなして、伸ばした髪を後ろでひとつにくくった野武士さながらのいでたちが彼の『仕事終わり』なのはもう見慣れたもの。
(かつての白い制服や洒落たジャケット姿も決して悪くはなかったのに、こうしてみると、彼はこと和装が恐ろしく似合うのだ。)
そしてそんな退魔の武士は今、立身出世を夢見るらしい。
「僕が総理大臣になったら、何しよう?」
「とりあえずダルマの目に筆をいれて、赤い花を名前の上に飾って、俺がお祝いします」
「うんうん。そしてまとわる記者を速足で撒いて、お忍びできみと呑む……」
揚げ物や焼き物の香ばしい匂いと酒くささ、まつりごとを肴にしてのまだまだ潰れない客達のしゃべりは、
開票が進んで大勢が判明するにつれて過熱していく。
大葉で巻いたチーズの天ぷらをつまみつつ、ネクタイをゆるめて泡の消えたビールを飲み干せば、
喉と襟のすき間にすっと空気が通ったようで快い。
と、野菜スティックの人参をもぐもぐ食べていた宗像先輩が、選挙特番を尻目ににやりとする。
「てかさ、“出馬する”とか“対抗馬”とか言うなら、落選した時は“落馬する”でもいいんじゃない」
「あーいいっすね、競馬みたいで。勝ち負けみたいなもんだし、たまに風変わりな名前の馬があるのも」
「な。じゃ――競馬らしく賭けてみようか? 今競り合ってる××党と○○党、どっちが勝つか」
……うん? と、ただの駄洒落たたとえ話をしていたつもりの俺は思わず箸を置く。
すると宗像先輩は、今度は酒ではなくただのお冷をひとくち含んで、つらつらと話し始めた。
「思えば、煙るお酒の席で競馬と政治の話するなんて、戦うだけの十年前は想像もしなかったけど。
無縁だと思ってたけど……、いざ歳食うときみと飲むのは楽しいし、
口も滑って賭けごとなんて吹っかけちゃうし。……これ、酔ってるかなあ」
宗像先輩の視線は、きょときょとと落ち着かない様子でテレビと卓上を行ったり来たり。
リモコンを持たない手は所在なさげにとっくりを持ち上げて振るけれど、浅いだろう中身の水面が
ちゃぷと虚しく鳴るのみで。
半信半疑、俺にもぼんやりと彼の気持ちがわかる。――きっと、俺は宗像先輩に勝負を挑まれている。
大人になれば、慣れてしまえば戦えない。
煙草もお酒も投票も競馬も、戦った青春の後に与えられるごほうびだ。
これをあげるからもう暴れ回るなと、気が済まないなら馬の勝ち負けでも観戦しておけとなだめられ。
こんな風に小さな卓に落ち着いて、それらを味わってしまえば、俺達はもう戦わなくていい。
再び戦うことは、死ぬまでできない。
……気持ちだけでも若返って、せめて賭けごとで戦おうなんて、幼稚に酔ってる。
誰か人生を棒に振るような選挙を、酒の肴に焼き鳥の串で指す不謹慎。
もしも十年前の若い俺達がこの場に居たなら、あきれ顔で、あるいはテレビ画面に映る選挙事務所の
ダルマばりのしかめっつらで、こんな大人にはなりたくないと、未熟な頬で嘆いたり――
だけれどこんな戦いもまた、若い内には経験出来なかったに違いない。
「カッ! 競馬、競馬ね、どこか先輩の名前に近いですが――つーか競馬なんすよ、俺の今の仕事も!」
「へえ? なにそれ、初耳だ」
「競馬場の横に、乗馬とかで馬と触れあえるレジャー施設を作る計画があるんすよ。
わくわく動物ランド的な……、実は名瀬師匠と古賀先輩にもご協力を仰いでまして」
「あの二人もかい! それは凄いな、いや、凄まじいレジャーが楽しめそうだ」
「ええ。なのでそのレジャーを賭けます、俺が負けたら自腹で先輩をプレオープンに招待しましょう」
「おお……? セールストークで僕を口説くとは。
じゃあ僕も仕事だ、僕が負けたら着工前に無償でお祓いしてあげよう。ああ、この職に就いてて良かった」
「役得すねえ。どっちに転んでも楽しそうっす」
瓶からコップにビールを注ぎ足し目の前にぐいと差し出すと、
ダルマのように赤い顔をした宗像先輩の、片目がきらりと好戦的に閃いた。
当選のあかつきに墨で塗り潰すにはもったいない、ただしその代わりに、
片目のまぶたをつむって乾杯、交わしてくれたのだった。
(「ちなみに人吉くんは、僕ときみのどっちが勝つと思う?」)
(「どっちが勝ってもめでたいですとも」)
(「うわ、大人のはぐらかし方だ……。」)