三つ子の魂百までと言うことわざがある。
なんでも、幼いころに形作られた性格は一生ついて回るとのことだ。
僕が最初にその言葉を覚えた時、『じゃあ僕の殺意もいわゆる個性のひとつで、
死ぬまでついて行くことになるのだな』と悟ったものだが、
それが自覚しただけで改善されるようなシロモノなら、大げさに「魂」とは呼べないだろう。
普遍ではない不変のもの。そういう生まれた時から治らない癖のひとつを、人並みに僕も持っている。
人の生き死にを判別しようとしてしまうのだ。
べつに会う人全員の脈を取ろうとしたり、いきなり人工呼吸をしに飛びかかるような変態な僕ではない。
視界にちらりとでも人間が入り込んだ瞬間、とっさにその人の現在の生死について考えてしまうのだ。
もちろん“判別”とは言っても、映画の世界じゃあるまいし、普通に暮らしていれば死人に相見える機会の方が少ないのは確かで。
それでもこの癖が治らないのは、やはり僕が無意識のうちに、殺す相手を探していることの証左に他なるまい。
さて。のっけからわざわざ僕が「三つ子の魂」について語り、振り返ってみたのは、寝起きで
ぼやけた己の頭を整理するためでもある。果たして目の前の彼は――生きているのだろうか?
僕が陣取ったシングルベッドのすぐ脚もとで、高千穂が横になっていた。
上半身は何も身に着けておらず、下はフォーマルスーツのパンツに靴下のみ(酷いしわになりそうだ)。
普段から固く編み上げた髪はすっかりほどかれて、印象ががらっと変わった姿に、それが誰かを理解するまでに時間がかかる。
意外に長い髪を床にばらけさせて、くうくうとのん気に寝息を立てて――生きている、ようだ。
「………ん。あれれ」
上体を起こし、冷え切った両腕をさすりつつ辺りを見回す。
昇ったばかりの朝日に面した窓が一つある、六畳一間。
小さなテーブルの上にはプルタブを起こしたアルコールの缶がいくつかある。少し中身が残っているかもしれない。
フローリングの床には、バトンのように縦長い、上等そうな黒い箱が転がっている。
その口から覗く丸められた紙の端には、三年間背負った学園の名と金色の縁どりが見えた。
日焼けした壁には、真新しいスーツの上着と、見慣れた制服がかかっている。
遅れて、理解。
箱庭学園で卒業式が行われた昨日、僕は高千穂の部屋に招かれ、一夜を過ごし朝を迎えていた。
ちなみに僕も髪を解かず、上下とも着替えていない制服姿である。
いつ床に就いたのか、そもそもどんないきさつで僕がベッドを独り占めしたのかは覚えていない。
とにかく暗器を収納したまま眠ったせいか、身体の節々が痛んだし、肌はまさに金属的に冷えている。
人吉くんにも幾度か注意されていたが、これもまた癖なのか、なかなか完治はしなかった。
もっともその場合は注意と言うより、僕が怪我をしかねない不安の方が大きかったようだけれど。
人吉くん。その方が良く思い出せそうな気がして、目をこすって僕は昨日の彼を思い浮かべる。
泣きながら手渡された花束は、持ち帰った後で高千穂がてきぱきとバケツに生けて、夜のうちに窓際へと寄せておいてくれた。
そして、高千穂が名瀬さんから買ったアルコール飲料(“合法”とラベリングされたフラスコに入っていた。謎すぎる)や、
市販のレトルトの軽食をいくつか二人で空けて、今まで通りに他愛のない話をして、
……最中、高千穂はふとその花束を眺めて、なつかしー、と唐突に呟いたように記憶する。
「妹。とか。萌えるぜー」
それは小学校の卒業式の、翌日のことだったらしい。今と同じように貰った花束を
今と同じように妹がバケツに生けて、陽のあたる窓際に置いてから、彼は家族と家を空けた。
小学校卒業と、中学校への入学を祝って一家で出かけたドライブ。
大げさな脚色もなく淡々と語られる思い出話を、僕は高千穂の口から聞いた。
彼らは確かにあの日、家から離れたどこか別の目的地を目指していて、標識にしたがって進んでいたのだと。
「いつものことだから体質なんだろうが――
俺、車の中で揺られてようと、冷てえ廊下にネジ伏せられようと、疲れたらどこでも寝れちゃうんだよな。はは。
だからってまさか、俺が起きた時にみんなが眠ってるなんて、夢にも思わなかったけど」
それっきりだ、と。酒が入ったせいでいつにもまして饒舌だった高千穂は、思い出したように沈黙した。
静けさを埋める代わりに僕は、過ぎ去った日に思いをはせる。
いつか目的地にたどり着けなかった高千穂が、六年後もなお迷路の中に居たことが、決められた運命みたいに思えた。
そんなよしなしごとに気を取られた僕はずれた相槌を打って、それっきり話は終わって……、……
……朝日が眩しい。だんだんと目が覚めてくるのにともない、頭もさえて来た。
昨日も考えていたのだ。高千穂がどこでも眠れる理由を、僕は無性に知りたかった。
『外部からのどんな攻撃にも対処できる、完全無欠の反射神経を持っているから、身体が警戒心に欠けている』
――ゆえに『どこであれ周囲を警戒せず無防備に眠ることが出来る』とか。
なるほど、たしかに。
殺人鬼にベッドを譲って、自分はフローリングにじかに上半身裸で寝ころぶことくらい、高千穂にとっては文字通り朝飯前なのだろう。
「……、」
ぐうとお腹が鳴って、ベッドの下の高千穂の寝息とちょうど横に並んだ。そうだ、朝飯前だった。
目を覚ます気配のない高千穂を尻目に、僕は足音を立てぬようベッドから降りる。とりあえずは
泊めてもらったお礼も兼ねて、朝ご飯を作っておこうか。それとも、昨日の残りで何とかなるか。
はたまた、動きを鈍らせるほどの寒気にまず布団をかけてやりたい気持ちもあるが、
かけた瞬間に反射で目を覚ましやしないかと思うと、きりがない。いや。
きりがあっても、突っ立っていてはどうにもならない。僕は空のベッドへと再び向きなおる。
布団をまとめて抱えて、死んだように閉じたまぶたの前にかしずいた。
――眠りに落ちる前、そっぽを向かれて、一緒に暮さないかと言われた。
『新しいとこ借りてルームシェアな、忘れてもい―けど』と矢継ぎ早に。
目の届く場所に居てほしい、と言おうとしてくれていたのだと思う。
百年たっても癖は治らないのに。可能性に賭けて駆け抜けた三年間は、そうそう走馬灯にならない。
僕もきみも死なない理由が増えすぎた。
(いいよ、二人で居たって、別に何も生まれなくても)(殺せなければそれでいい。)
「……おはよー、とか、起きてるきみにしか言ったことないね……そう言えば」
今度こそ、彼が眠っている間にすべてが終わっているのでも、すべてに置き去りにされるのでもない。
してやらない。僕はさっきまで全身で丸まっていた、かすかに体温の残る布団を
そっと無防備な身体にかぶせていく。心なしか指先が震えた。
三月初めの早朝だから、かじかんでいるのだと言い聞かせる。
あくびひとつを視界のかすむ言い訳にして、それだけで空気の流れは変わる。
殺したい気は不思議と薄れ、殺した息に不思議と恐れはなかった。