せかいはつのおつかい。

俺達結婚します、という一言を、俺は旅の土産話のように喜び勇んで伝えることは出来なかった。
悪意にまみれた漆黒宴を制し、人質を奪い返し、帰路についておのおの解散してから――
鰐塚のタブレット(レポート記録済み)を預かって向かった学園で、宗像先輩が俺を迎えてくれたからだ。

この時期日が落ちるのは早い、町では夕刻におなじみの「からすと一緒に帰りましょう」のメロディもとうに流れてしまって、
残っている部活生も居ない、暗くなりかけた校舎へ急ぎ足で歩いている時……
庭先の花だんの前で、ぽつんとベンチに腰かけて座っている人影を見つけたのだ。
驚き、走り寄って抱いた肩は冷えきっている。

「宗像先輩!こんなところで、上着も着ないでどうしたんです」
「ああ、人吉くん……だってきみ、お昼ご飯も持たずに飛び出しちゃうから」

言って、先輩はかたわらに置いていた購買のビニール袋を掲げる。
中には今日の曜日の日替わりスペシャルメニューの弁当が二つ、
それも陸上部レギュラーの足でしか確保出来ないとまことしやかにささやかれる、大人気の品だ。
それでも待ち人は申し訳なさそうにうなだれる。

「すっかり冷えちゃっててごめんね。
今、時間ある?お腹空いてない?これ今日まで食べられるから、迷惑じゃなければ、一緒に」

最後まで聞かなかった。
南極で着た耐寒スーツを俺は荷物から引っぱり出し、小刻みに震えている肩にかける。
出立してから三日は経っているが、いつになるともしれない帰りを、放課後は毎日こうして学園で待ってくれていたようだ。

「あっためましょう、弁当も地下庭園も!
じっくり腰を据えて、あんたに知らせたいことがあるんです。……そいで、ただいま」

もこもこしたスーツにくるまれた宗像先輩は、顔をあげておかえりなさいと暖かに笑った。

『知らせたいこと』。
それは遠い地での決戦など夢にも思わない平和な冬休みの最終日、彼と交わした約束だった。
あの昼下がり、突然――ちょっと退屈な話をするよ、と宗像先輩は切り出した。

「きっと、僕は一生結婚出来ないと思う。」

きざしも脈絡も何もなかった。彼は前日から俺の家に泊まっていて、二人して朝から遊んでいた。
一緒にボードゲームに興じたり、借りてきたコメディ映画のDVDを観たり、こたつに入っておやつを食べたり
(棒ジュースや二個一パックのアイス大福といった“はんぶんこ”系の氷菓を見慣れない先輩は、同じだけ綺麗に分けた時にいたく感激していた)。
唇をとがらせて、ちうと溶けた蜜をすすり終えてから、彼はおもむろに話を始めたのだ。

「僕は、この異常性は……“殺人衝動”は、死ぬまで無くならないものだと思ってる。
今でこそ、人吉くんに信用されてこんな風に仲良くやってけるけど、これはかなり奇跡的なことなんだよ。
もしもう一度同じ状況に放り込まれて、全くの別人と一からここまで関係性を築けるかとなると、厳しい。
否、ありえない。きみに負けなければ、ああも本気にならなければ、無理だ。あれは僕の限界だった」

卓上に置かれたまま片づけていないアイスの抜け殻は、結露して微小な水たまりを作っている。
こたつに入って向かい合っているはずなのに背筋が凍えそうだ。
どちらもよそ見はしなかったが、告白の言葉も雪の結晶も似て、しんしんと降り積もっていく。

「こんなお泊まりならギリギリ許されても、同じ屋根の下で四六時中暮らすなんてことは、とても誰かに無理強いさせられないし。
根拠?そりゃ『僕は悪い』から。自虐でも自慢でも自損でもなく自業自得。
人間が近づいても安全だって百パー確実にするには、手足でもくくって檻に飛び込むしかない」

「……宗像先輩、やめろ。そんなの違う、俺は絶対、違うと思う」

舌の付け根にこびりつく甘さがひどく心地悪い。歯噛みしても気の利いた言葉は何も出てこなかった。
苦しみも悲しみも色褪せた淡い白状に、さまよった十八年間の行き止まりに、胸が締め付けられる思いがした。

「こんなんだから大人になれない。
切れやすく斬りやすく殺したいと思ってしまう。負けても手が出てしまう。だからこその本題。
人吉くんには、大人になってほしいんだよ。
幸せな結ばれ方をしてほしい。僕にはそれは出来ないことだから、代わりにきみがやって見せて。
……そうすれば、世界一の幸せというのがどんなものか……僕にも解る。世界一幸せになれる」

宗像先輩はゆっくりと息を継ぎ、肩の力を抜いて額をぬぐった。
それは重大で果てない約束だったけれど、穏やかな声音のおかげか、最後まで聞いてしまえば不思議と重荷には思わない。
やれば出来る、予感がある。ちゃんと勝って、持って帰れる気がする。

「あ。当たってるね。あとで引き換えに行こうか、これ」

ふちについた霜の欠片まで溶けてしまったアイスの空き容器をつまみあげ、先輩はつぶやく。
おそらく世界一小さいだろうその幸せに、俺は頷いて、はいと素直に返事をする。

 

――だから、俺は今日、帰ってきた学園で約束を果たすのだ。
結婚して、宗像先輩を世界一幸せにすると決めていた通りに。

レンジで温めなおした弁当を日の当たる縁側に広げると、春の晴天を望むあずまやの庭先に、胃袋をせっつくいい匂いがあふれかえる。
俺達はずいぶん遅い昼食にありつきながら、ちょっと行儀悪くタブレット片手に、漆黒宴で起こったことのすべてを一から十まで語っていた。

というか最初はさすがに、切腹のくだりははしょっていたのだが……
「それにしても、この通気性の良い上着は何なの。お腹が冷えない?」と、
膝にかけていた防寒スーツの穴を指差しながら睨んでくるので、
言い逃れできず明かしたのだ。血は洗い流したのに、なんと目ざといのだろう。

「上級生で三年生で十三組生で先輩だからね。
でも、僕をアンフェアにごまかしたからって、胸を痛める必要なんて全然ないんだよ」

じろりと視線を上に移し、今度は心臓の真上にひたりと手を当ててくる宗像先輩。
マジか、どきどきが筒抜けに聞こえてる。バレてる。
殺す方法を見抜く異常性は、急所やひときわ弱っていた箇所を当てることにも応用可能。

すっかり観念した俺は、それ以降ささいなことも細部まで説明した。
今回の校外遠征をレポートに書き起こす前に、誰かに話して頭の中を整理しておきたかったのだ
(もちろん俺が戦闘不能になってしまった間の記述については、率先して記録を取っていた鰐塚の補足に頼るだろうが)。
本来は書記が行うレポート作成、それを今回俺が引き受けたのは、肝心な時に動けなかったことへの責任を取るためでもあり――
その間に何が起こったか、早いうちに記録に目を通しておきたい、というのもあり。

箸が進み、話も進む。
一口ずつ、一言ずつ味わった弁当はやがて空になり、俺はクーラーボックスからデザートを取り出した。
生徒会室の冷蔵庫に保管しておこうと持ってきたが、舌鼓を打つ相手がいるなら別だ。

「そんなわけで――俺、結婚します。大人になれるかは、分かりませんが」

がりがりと氷をかくやかましい音の合間に、やっとそう報告した。
生徒会の基本、報告・連絡・相談。後ろ二つをすっ飛ばしたのは、なにせ急いでいたからだ。
跡形もなく溶けてしまわぬように。南極の氷で作ったかき氷を口の広いガラスの器にたんと盛って、
宗像先輩がお茶用に作り置きしていたシロップを拝借。
庭園の隅に植えていたワスレナグサの、花の蜜を抽出した一品だとか。あとを引くさわやかな甘さ。
明け方の空のような薄い青紫の氷をひとすくい、口に運んだ宗像先輩は目を細めた。

「そうかい。それにしても、人吉くんも義理堅い子だねえ。
急かして焦らせちゃったかな。この先五年でも十年でも、僕は待ったのに」
「とんでもありません。あんたを幸せに出来るのに、一分一秒だって先送りにする理由はあるもんか」
「……言うなあ。言ってくれる。ありがたい、本当に大きくなったものだ、」

おいしい、とスプーンまでも噛みしめるおどけた仕草に頬が緩んだ。
俺は隣で、やはり大盛りにしたそれをばくばく頬張る。甘くて、冷たくて、日差しはぬくい。
はんぶんこしたあの日よりもずっとずっと、止まった心臓だって生き返るくらいにおいしい。

「そう言えば“南極の氷で作ったかき氷”、きみがおつかいに行ってた間に発売された週刊漫画に出てきたぜ。今日貸すから、持って帰って読んでいいよ」
「出てたんですか!?うわ、すげー合致。めちゃめちゃ気になる」

じきに薄紫の滴だけになった器を置き、宗像先輩は小さく身震いをした。
弁当を食べて温まった身体が再び冷えてしまったか、膝にかけていた防寒スーツを今度は羽織る。
それでなお意気揚々と器を差し出しおかわりを熱望するので、俺はうやうやしくそれを受け取った。
シロップを惜しまずかけて、スーツをかぶり膝を立てる彼のもとへ届ける。
小高い山を突き崩しながら、ほんのり青白く染まった薄い唇がうたう。

「たまに喧嘩しちゃったら、僕のところに逃げておいで。バズーカで心優しく追い返したげる」
「そんなあ!そん時ゃどうか味方してくださいよ、おんぶでもして保健室へ頼みます。
……喧嘩しなくても、俺はあんたの役に立ちますし、遊んでもほしい。いつでも声をかけてください」
「はいはい。そうだな、――なら、鰐塚書記のフォローもかねて。
まずは今晩、レポート作りを見張って手伝おう。終わったらごほうびに今週号ね」
「アメとムチが無駄に上手い……。つーか氷食ったばっかで甘やかされるのも何ですし、ありがたく両方頂戴しましょう。」

おめでとう、とはまだ言わない。
頼まれた言いつけどおり、勝って帰ってきただけだ。
これから。これから。どちらも目指す道ははるか遠く、振る手に覚え書きはない。
たどり着けたならなんでも変える、変えられる。たとえ大人になれなくても。

そろいもそろって二人次の日、
数日間の無理がたたって風邪で寝込んで病める時までは、どうぞすこやかに。
小さな子のように看病されながら彼らは、「世界一幸せ」になれた昨日のことを、
覚え書きの記録なんかなくても鮮明に思い出に焼き付けていた。