待ちに待った会長戦開始を告げるゴングが、
まさか女子が螺子を噛み砕く金属音になろうとは、いったい誰が予想出来ただろうか。
豪快に螺子をいなした次の瞬間には、めだかちゃんはもう、特別教室のドアを蹴破って飛び出していた。
僕が本格的に過負荷を使う前に、全力で対抗して周囲に被害が及ばぬように、場所を移したのだろう。
僕はそれを追いかける形になるのは不本意ながら、その行動は十分に予想の範囲内である。
みんなを幸せにするために生まれて来た。ただし、守りながら笑っているぶん、フラスコ計画の
一件から更に変な子になったみたいだ。他人のみならず、自身のことも大事にはしているのだろう。
僕がこの学園に転校してきて、一ヶ月と一週間経つ。最初に乗り込んだのは時計台の地下ではあったが、
実は、僕はまだこの敷地内の設備について把握しきれていなかった。なにせ一学年につき十三学級ある、
それだけでも校舎は相当な規模だと言うのに、剣道場に柔道場、総合体育館、屋内プール、植物園、建設中の特別教室棟。
今更ながら、これで『箱庭』とは、とんだ名前負けもあったものだ。
子どもをやわらかく包み守る揺籃とは違い。一歩たりとも敵を寄せ付けぬ城砦にもほど遠い。
(だからめだかちゃんみたいなのでも、受け入れられるし、僕なんかでも、簡単に『侵入学』出来る)
「―――、」
走り続けて切れる息は、もうなかったことには出来ない。果てのない迷路のように広いそこを、
姿を消しためだかちゃんを探して走っていると、行く手に誰かが立ちはだかり、僕は思わず立ち止まる。
日中の太陽を背負うように、大男が居た。いつか螺子伏せた時と同じに、トレビアン、と不敵に笑って。
「ここだけの話、俺ァ胸のある女には興味が湧かねーんでな。そうでなくとも、殺人未遂犯のお前を見過ごす理由もねえ。
こっちは本職が科学者なんだ、転校生のお前がアウェーでまずどう動くかなんぞ丸分かりだ」
「……殺人未遂とか言うなら、きみのクラスメイトのほうがよっぽど危険人物だろ」
高千穂仕種。
およそ一か月前の、ぶち壊されたフラスコ計画の顛末に思いを馳せる。
お節介な生徒会長のとばっちりを食ったとも言えるのに、退院してまでそちら側に加担しようなんて。改心って怖いな。
そして、気配をなくした僕の居場所を真っ先に見つけられた理由は、さしずめ動物行動学か―――、
とかそれっぽい単語を思い浮かべたところで、僕はすぐに思考にあきらめる。
どう彼の策略を解析しても、向こう側についている真黒ちゃんには及ばないし、そもそもこの男との対立など予定外過ぎる。
邪魔だ。異常な反射神経がどうした。戦闘科学者だから、何だと言う。過負荷を使うまでもない、
あのノーマルと同じに僕を蹴り飛ばそうとする彼も、どうせまた螺子伏せて地に這わせてしまえば―――
「……ええ?」
うそ。大嘘。
振り返る。ハイキックをかますはずのモーションは、迎え撃つ寸前で明後日の方角に大きく逸れて、
彼は僕の背後へと通り過ぎていた。見えなかった。気付かなかった。傷つかなかった。
「危険人物どころじゃねえって。生きた人間なら誰であろうと殺したがる、枯れた樹海は真性の変態だ。
だけど世界中探しても、ああも人を殺すことを嫌がる奴は、あいつだけだろうな」
まあ、裏の六人の件は正当防衛ってことで。そんな意味不明なフォローもさりげなくつけ加えて、
高千穂とやらは、蛇のようにするりと植え込みの向こうへと消えてしまった。
待ち伏せていたと宣言しておいて、結局通りすがって終わりだった。勝ちでも負けでも、まして引き分けですらない。
「……つまり、相手にしないのかよ」
無視だ。つまり、この世で僕が一番堪えることを、彼はして。
唇を噛む。ガソリンや砂や靴や、新聞紙の味はしないけれど。と。
「―――ああ? 俺がてめーなんかの相手をしてやる義理はねえが、実験動物にならしてやってもいいぜ」
「そうそう、勘違いしないでよね! 名瀬ちゃんのお相手は私だけなんだから」
「おうとも。マイハニーに手を出した罪は重いぞ」
「きゃあ、かっこいい! どっかの誰かさんと違って、括弧つけないでもかっこいいーっ!」
「……。」
こぼした独りごとに、勝手に台詞が続けられていた。中庭の噴水を半分ほど周ってこちらに歩いてきたの
は、以前に僕がマイナス十三組にスカウトしようとした名瀬さんと、連れの古賀さんだ。
ちなみに現時刻、午後一時を少し過ぎたあたり。そんな真昼間から、しかも学園の存続さえ揺るがした
選挙の決勝戦の最中に、女子二人に堂々とのろけられる。否、学園生活を嵐のごとく引っかき回したとは、
僕がそう思っているだけで、今の彼らにしてみれば、ささいなつむじ風くらいのものだったかもしれない。
僕のしたことは、三億年を待たずとも、いつの間にか無かったことにされてしまうようだ。
「………」
憂鬱にため息を吐きもしなければ、乱れた髪を整えることもしない。仲間にならないのなら、友達にならないのなら、
こちらだって遊んでやる余裕があるものか。止めるべき心臓を数えて僕は螺子を持つ。
そして名瀬さんが、顔を覆う包帯の隙間から注射器を取り出す前に、僕はそれを前方に向けて手放した――
「飽きた、名瀬ちゃん」
あ。パンツ見えた。微妙にびっくり。
没々と、水しぶきをあげて噴水に武器が沈む。
左脚で螺子を容赦なく蹴落とし、右脚は加減して(太ももで横薙ぎに)注射器を払い落とし、
右手は隣人と堅く繋ぎ合わせる、その間ずっと古賀さんは視線を僕から外さなかった。賢い判断だった。
螺子をぶん投げた後、それを目くらましに過負荷を直接食らわせてやろうと企てなくもなかったのに。
もしも名瀬さんを置いて僕に襲いかかっていたら、二人ともあっけなくその餌食になっていただろう。
名瀬さんにも、この流れは予想外だったらしい。注射器をなくして空っぽになった右手を見て、
そして繋がれた左手を見て、最後に彼女の顔を見る。にこり、と古賀さんは笑った。聖母像さながらだ。
「名瀬ちゃん、相手にしないんじゃなかったの?
てゆーか、私以外の人間に注射なんかしないで。―――けがらわしい。次やったら私、拗ねるから」
「………っ!!!」
こくこくこく。すごい勢いでくり返し頷く名瀬さんに、古賀さんはうふふと満足げに目を細める。
そして踵を返すや否や、繋いだ手をぐいぐいと引っぱって(「俺の腕が折れる!」とか聞こえる)去ってしまった。
包帯越しに睨みつけられた時には、てっきり愛妹の加勢をしに来たと構えたものだが、
またしても、いったい何をしに来たのだか理解不能だ。
てか、注射て。彼女にとっては、それは嫉妬の心を激しく燃え上がらせる行為らしい。
ああ、何となく。たとえば善吉ちゃんの目の色を見て、無視をされる僕がどうしようもなく怒りをたぎらせることに、それは似ているのかも。
並んで歩く、背中を傍観する。
怒り、悲しみ、憎しみ、そのどれをも、彼女らは結果的に僕にぶつけなかった。
その代わりに、彼女同士の間でだけ、愛情をぶつけあっていた。
庇ってみたり、妬んでみたり、生き急ぐように忙しく。
傍若無人に、僕なんて傍らに無きがごとく。
「……『やれやれ、目の前に居る僕を無視するなんて、酷いなあ。』」
誰もいないから、過去を懐かしんで格好つけてみた。木立の枝葉を揺らして風が吹く。
人影は見当たらず、辺りは静かだ。花壇の花さえおとなしく、強く照りつける日差しに項垂れる。
炎天下に黒い制服で走り回って、ある意味、こんなに健康的な汗をかくのは久しぶりだった。
飲み物を用意してこなかったことを今更後悔して、せめてもとつばを飲み込む。
無意味に、無感覚に。喉が渇いた人間の真似は。
喉の渇きを、疲れを、痛みを、なかったことにしたのはいつだったかも、もう忘れた。
どうも、やる気が殺がれっぱなしだ。
時計台に目をやる。選挙戦が始まって、まだ半刻も経っていなかった。決着を果たすどころか本人に
さえ相見えず、時間が経つのがひどく遅く感じる。めだかちゃんはどこだ。目的はどこだ。
僕の世界の目標はどこにある。戦うためだけ、勝つためだけに、箱庭学園に転校してきたのに、はがゆい。
「さて。二度あることは三度あると言うわけで―――僕だ。」
危険人物。傲慢な自己紹介が、どこからともなく聞こえる。
校舎と校舎を連結する渡り廊下のコンクリート地を、こつこつと靴を鳴らして歩く音が届く。
屋外と廊下を隔てる仕切り板はないものの、その音が止むまで、僕はあえてそちらを見なかった。
無視してやろうと、ふと思った。
砂利が擦れる音がした瞬間、校舎と地続きの廊下から、彼が一歩外に踏み出したのだと分かる。
視界を傾けた先に、携えた一丁の拳銃を、まっすぐ僕の頭に照準をあわせた男が立っている。同級生、だっけ?
「……うーん、ラスボスみたいに出てこられてもね。
困ったなあ。僕が逢いたいのはめだかちゃんだと、誰も分かってくれないんだから」
「ああ、分からないな。人吉くんに意地悪して、目を潰して苛めた奴のことなんか、分かりたくもない」
「善吉ちゃんかあ。善吉ちゃんねえ。あの子、僕とは友達になってくれなかったんだぜ。うらやましい」
「ふふん、滅茶苦茶うらやましいだろう。でも貸してあげないぞ」
吐き捨てるように拒絶されたかと思えば、得意げに腕組みしつつ、鼻で笑われた。どんな二重人格者だ。
いや、言うほど僕は、彼の性格を知らないのだけど。
ちなみに銃口は、おしゃべりの間もずっと、狙いをつけた状態が維持されているのだけれど。
さておき。自称友達、らしい。
たとえ、無実で前科無しの免罪符があったところで、頭の中は立派に異常な殺人鬼のくせに、笑わせる。
二重人格と表すよりは、存在が矛盾そのものだ。
何のために生まれて来たのかを問う前に、なんで生まれて来たのかと、疑わざるを得ない。
しかし、当の本人の態度を見るにつけ、何か迷いを抱えて自暴自棄に参戦しているのでもなさそうだ。
「……宗像くん。そうやって道をはばむきみを僕の過負荷で殺したら、犯罪予備軍を一人減らした功績において、
僕は新世界の神に、黒神さんに一歩近づけると思うんだけど、どう?」
「どうもこうも。そんなのは世界一の名探偵Kが、宗像形が許さない。
―――いい加減に負けを認めて手を引けよ、球磨川くん。僕は誰も殺さないから、今すぐに黙って失せろ。
たとえ正当防衛であっても、きみを殺して、万が一にも人吉くんを泣かせたくないし」
「ふうん。きみまで、僕に手をあげないの。その生温い殺人衝動と嘘をつき通せる図太さを見込んで、
過負荷に勧誘する案も無くはなかったのにな。ねえ、マイナス十三組の名簿に名前を連ねるつもりは」
「ない。僕がこの名を連ねるのは、友達の携帯電話のメモリーだけで十分だ」
……ああそっか。螺子の打ちどころが悪かったんだ、きっと。だから今、めだかちゃんに会いたがる、
勝ちたいと願う僕の言葉が理解出来ないんだ。僕にないものを、これ見よがしにひけらかしたがるんだ。
一歩、後ずさる僕に銃を突き付けながら、淡々と紡がれる言葉を聞いた。
僕を透かして背後の景色を見るように、さっきから一度も目は合わせないまま。
無視。度外視。衆人無環視の無関心。本当に心底、誰もかれも、自分など眼中にないと言わんばかり。
誰とも世界ともなじめない、それは正しく、負の在り方なのだろうけど。
ならば僕も、誇れる僕の欠点を自慢しよう。仏の顔は三度までと言うけれど、仏でない僕にだってそろそろ我慢の限界だ。
もしもあの時始末の付け方が悪かったなら、もう一度突き刺して滅多刺しにして、つまらない死に損ないはなかったことにしてしまわないと。
まずは無実の人殺しを一人殺して、赤い羽根ならぬ黒い螺子を刺して、世のため人のため、マイナスらしくお役に立たないでみせようか。
出来ないことから、まずひとつ。千里の道を目指すなら、一歩引き下がるところから。
「宗像くんみたいな犯罪予備軍になら、
どんなに凶悪に陰惨に未解決に正当防衛をしても無罪放免だよね。僕の過負荷、『却本作り』―――」
足でだってマイナスは使えるけど、負け惜しみのように見映えを気にして、手で使う。
ふと眩しくて、直射日光に高く手をかざしたら、赤く見えた。
僕が負完全に臨戦態勢でも、いつまでたっても銃撃音の響かない、平和でのどかな箱庭学園。
棺桶と呼んでも差し支えないくらい、息苦しく狭苦しく熱のこもるそこで、自らの過負荷は久しぶりに日の目を見ることになる。
そうして死ねない僕はまだ、いくべき場所にたどり着けないで足止めされていた。