生死不明か、速報のテロップが流れるようにそんなことがまず思い浮かんだ。
薄暗い視界にようやく宗像が飛び込んできた時、あいつは生きているか死んでいるかも分からないような存在感の薄さで、
じっと膝を抱えて、組んだ両腕のすき間に顔を埋め、蒸れた岩の裏に潜む虫のごとくに縮こまっていた。
足を止めて立ち止まる。
俺はすぐには駆け寄らず、改めてフロア一帯をぐるりと見回してみる。
荒れ果ててまではいないものの、研究施設の一部にしては寂れ、廃れた空間だった。
人吉と出会って外で遊ぶことを覚えてからか、樹木の手入れが完全には行き届かず、
落ち葉や苔の目立つようになった地下九階、草深い墓地の奥。
『ひしめく名のない墓石や墓標の下には、フラスコ計画の研究資料が隠してあるのだ』――
などと名瀬は以前に冗談めかしていたけれど。その下に何が埋まっているのか(あるいは無いか)、
オリエンテーリング当日の悲劇について彼女から連絡を貰うや否や、こうして捜して追って来た俺にだって実情は分からない。
分からぬまま、そんな聖域を土足で踏みにじり、俺は宗像に一歩近づく。
足音を消したつもりもないが、見下ろす位置に立ってさえ、反応は全くなかった。
「おい、捜したぞ。何とか言えよ、それとも寝てんなら膝でも腕でも貸すぜ」
「……、」
小さく――目を凝らさねば分からないほど小さな幅で、宗像は首を横に振った。
無論彼は最初からうつむいたままなので、それは後頭部がわずかに左右するだけの動きに過ぎないが。
いまだ顔を上げないところを見ると、膝枕の勧めを真に受けてしまったのだろうか。
それはちょっと恥ずかしい。
「あー、言う気はねえ、俺には喋りたくねえ。そういうこったな」
秒針が一周するくらい時間をかけた後で、やっと頭が沈む。頷いた、らしい。
腕を組み直し、俺は攻め方を変えることにした。押して駄目なら引くしかない。
よくよく間近で見れば制服姿の彼は、派手に喧嘩でもした後みたいにあちこち布地が裂けて変色した血をこびりつかせているし。
服だけではない、結んだ一房の髪にもべとりと粘って張り付くそれこそ、彼の動きを制限している風に見えた。
口はせめて汚れていなければいいのだが、喋りにくくないように。
「じゃあ、俺が誰か連れて来たらそいつとは喋るか? 前統括か――人吉なら」
「……。」
おや、これも意外に否定。伝家の宝刀のつもりで抜いたら心の角と一緒にぽっきり折れた。
ヒトヨシでも駄目だとなるといよいよ当てがない。いや。この程度で諦めるか。俺は諦めが悪いんだ。
たとえ家族が居なくなっても、家庭もどきを築いて暮らせる人間を探すくらいには。
「つまり今のお前は、誰にもかまって欲しくないんだな。俺にも前統括にも誰にも、人吉にも」
「……。」
大して上下の高低のない肯定。
なるほど。それなら、仕方ない。押しても引いても駄目ならば。
横槍を入れるしか。
「そうか。……話は変わるが、指名手配犯のお前を捕まえたら、いくら貰えるんだっけか?」
――激変は、空調が壊れた時にも似ていた。
湿っぽくて澱んだ地下の空気が、一瞬で張り詰め震えた。
まるで力の入っていなかった肩が、途端に生き返ったようにびくっと跳ねる。その隙を見逃さない。
俺はわずかに開いた腕の間に手を突っ込み、そのまま開いた襟首を遠慮なくつかんで腕づくで引き上げる。
制服の縫製のちぎれるかすかな音がめちめちと聞こえた。嫌らしい音だ。
それでも乱暴にされたせいで反射的に肺から抜ける息の、耳を塞ぎたくなる響きには遠く及ばないが。
かつて見たことのない、幼い酷い泣き顔と目が合う。
そうして、唇を噛み締めて頬を濡らすあいつの前で――俺は素直に笑顔を見せる。
懐かしい話だ。こんな奇妙な巡りあわせに、出会ったあの日も心の中では密かにほくそ笑んでいた。
「信じるか信じねえかはさておき、ちっとは常識で考えちゃうよなー。
懸賞金が掛かってるんだろう?今こいつ通報すれば、俺って一生寝て暮らせんのかなあ、
人生最大の買い物、アットホームに家族の墓も建てれちゃうかなあって。電話一本で億だぜ?億」
胸ぐらをつかんで胴を引き上げ、無理やり立たせると、薄く開いた口からか細い悲鳴が零れる。
粗暴な振る舞いだと自覚はあったが、このままでは、
それこそ足に根が生えたようにここから動かなくなる危機感の方が勝っていた。
仕方ない、武器を持たない丸腰の俺は言葉を連射するしか。
腹に充填したそれを喉にせりあがる次から次へ。
「けどそんな想像の中じゃ、なんでか……時間が全然過ぎねーの。独りリッチに老けてくのが想像できねえっつうか。
どんなに金積まれても、お気楽な妄想でも、お前が居なきゃ歳も取れないのかとビックリしたね」
現実はいまだ妄想通り。
強引に直立させた宗像の腰は1ミリも曲がっちゃいないし、ばらけて涙を吸う前髪は黒く細く束を作る。
何より間近にある暗く濡れた瞳は――涸れもせずこんこんと透明な滴を溢れさせ続けるのだ。
襟を掴んでいるせいで、わずかに顎を持ち上げるかたちになる手の甲が濡らされたところで、
俺はようやっと手を放した。咳き込む弱った彼を前に、口癖の自尊も思わず出る、出る。
「つか俺キックボクシング専門だしな、ノーコンだし、
塀越しに何投げて寄越すわけにもいかねーし、面会もガラス越しじゃ触れね、……」
口をつく思いの丈に、急に声が尻すぼみになった。俺は慌てて深呼吸をひとつし気を引き締め直す。
どうもいけない、苔むして生ぐさい空気が、フロア全体に不均等に澱んで溜まっている印象だ。
二人分のマスクでも持ってくれば良かった。場所が悪い。彼は悪くない。
「……なんなら宗像、どっか、いきたい場所あるか。何処でも連れてってやるから」
どこか。ここではない、他のどこか。
ひとたび口に出してしまえば、なかなか悪い発想ではないと思って
――ここに来て彼が初めて発した言葉が、鈍器ばりに期待を打ち砕くまでは。
『けいさつ』と彼は呟いた。
気付けば俺は全力で彼の細腕を引き、青い非常灯を横目に出口に向かって走り出していた。
そうして手首を締め付けたら、泣き声がたちまち悲痛な呻き声に変わる。
痛むのだろう。可哀想に。分かって更に力を込める。ぎしと嫌な音がした、頭の中からも、握る手からも。
虚ろな瞳からぼたぼた涙をばら撒いて、何故だろう、水をやらねばならない花など生えていないのに。
今更、この庭の荒れように対処する気になったのか。
大体今のは生きたい場所を問うたのであって、殺し方を問うたんじゃない。
息が切れそうだ。唇も。大砲のように怒鳴るから。
「馬鹿、馬鹿野郎、勘違いしてんじゃねえよ。映画館とか、公園とか、遊園地とか、もっと色々あんだろ。
片道の場所挙げんな、日帰り出来るとこにしろ」
馬鹿らしい。学生の身分で学校をサボって連泊など、何年掛かると思ってる。許されるものか。
そもそも警察になど出かける暇があるなら、その時間を割いて俺の家族の墓でも建ててほしいものだ。
その身が拘束されることなく、両手が後ろに回ってお縄につく前に、自由に花を活けられる間に、その冷えた手で。
……ひとつ例外として、あの世を彼が望んだなら、たとえ片道でも付き添う気はあったけれど。
墓場を後にしても宗像は、ついに樹の下で首をくくる縄をなう後ろ向きな真似だけはしなかった。