生存フラグ

友達じゃないから殺す、と呟いた。
呟いたからと言ってそれはただの口癖で独り言なので、この今何が突然に起こるということはない。
間違っても魔法を発動する呪文なんかではないから、僕が正座をしたその目の前で急須とお茶の葉が勝手に
踊り出し、湯飲みにお茶が注がれることもない。蛇足するなら、たった一言妹と言う呪文のみで動く
魔法使いを知ってはいるけれど。

とにかく魔法が使えない僕は、自力で急須にお茶の葉を入れる。小型コンロの上ではちょうど湯が沸いて
いる。湯を注ぎ入れると茶葉のかおりが立ち昇って、深く呼吸してみた。畳敷きの和室の空気と淹れたての
お茶の匂い、やっぱり故郷と言うかルーツが同じものは有機物と無機物でもそれなりになじむのだろうか。
出身が同じだけで親和作用があるなんて、どこぞの統率の取れていない異常な学級とはえらい違いだ。

と、二つの湯飲みに最後の一滴までお茶を注いだところで、開け放した障子の向こう側の景色に何と
なく目が行った。庭先の飛び石をたどってずっと先にある扉。人の気配。僕が腰を浮かせると同時に、
滑らかに扉は横に開く。開閉には腕力を要するはずのそこを人指し指一本だけで音もなく動かす馬鹿力の
男を、僕は十三人に一人しか知らない。縁側に立ち、僕は服の袖口についと右手を潜らせた。

「よう、邪魔するぜ――おっと――何だこりゃ。フォークか?茶菓子にケイクでも用意してんのか?」
「ぶっぶー、三尖槍だよ。それにケーキはないけど、名瀬さんが差し入れてくれたお団子ならあるよ」
「うわあ超遠慮してえ……つか今お前真顔で萌え殺そうとしたよな。不正解のブザー音を唇とがらせて言うって結構ポイント高いぜ」
「まさか。僕は『武っ具ー、三尖槍だよ』って言ったのに」

いけしゃあしゃあとは我ながらこのことだ。扉が開いてコンマ一秒、見えた長身めがけて僕が力任せに
投擲した三尖槍の柄を宙で片手で掴んで、高千穂は庭園へと踏み入ってきた。今日も今日とて
自動操縦の反射神経は正常に作動していると見る。不思議と満足な気持ちになった。

「んー、茶菓子なら俺が良いのを持ってきてる」

白衣の裾を翻して、実にトレビアン、とか格好付けながら、臆すことのない右腕でその辺の草むらに三尖槍を突き立てる。
石灯籠や庭木にまじってオブジェのごとく地に刺さったそれは、どう見ても周囲と調和してはいない。
そこにあるだけで――不調和をきたす異分子。まるで彼そのものだ。僕そのものだ。
僕にとって、真実の極致で殺したくても殺せない人間その者だ。触れられない人間ゆえに、望まない限り
手を伸べたところで握手ひとつ交わされないが。僕がその殺意を惜しまず我慢せずにいられる一人、
高千穂は今日も変わらず僕のフロアにおしゃべりをしにやって来た。
 
 
「……で、生徒会の視察とやらがいらっしゃるそうで。明日は言わば端役出勤だな。
しかし手厚く歓迎しろってんなら、理事長ももっと前もって教えてくれりゃアいいのによ」

「さあ、急に決まったんじゃないの。
案外都城あたりが独断でちょっかいかけて、生徒会長さんを刺激しちゃったのかも」

当てずっぽうのつもりが図星だった。それを僕が知る由は永久になくとも。
さておき冒頭の殺気と呑気のやりとりの後で、僕と高千穂は縁側にてお茶をすすっていた。
屋外を模したこの庭園でもさすがに太陽の模造物までは作っておらず、
厳密に日なたぼっこと言えまいが、ここはいつでも春のように暖かだ。
そう言えば春ってこんなに暖かいんだっけ。最後にまともに日なたぼっこをしたのはいつだっけ?
思い返せば四月の入学式に桜は見なかった。出席しなかった。
学園に来ないでいい。つまりは校舎を賑やかすサクラとしてさえ不必要と言うことだ。

「サクラモチ、美味しい。」
「あーうまい。ま、俺の目の前でぽきゅぽきゅしたあのちっこい女が買い占めなきゃ、たった三個と言わず買えたんだが」

高千穂は湯気の立つお茶をあおって(舌を火傷しないんだろうか疑問だ)あっという間にひとつ平らげる。
彼が手土産に持ってきたのは学園の購買にあると言う桜餅だった。
初夏にお目にかかるには少々めずらしいと言えるが、この庭園には相応しいのだからそれで良しとしよう。
それに僕は古賀さんじゃないから、名瀬さんの『好意』を甘んじて受ける勇気もない。

「……甘い」

行儀が悪いとは分かっているけれど、僕は餡にまみれてべたつく指をちょっとだけ口に含む。
手を使う作業は、暗器や水遣りを除いて全般的に苦手だ。
文房具から箸まで、字を書けば紙の上にみみずが這い服はご飯粒まみれになる。
かなりどうしようもない自覚はあったが、普通教育をほとんど受けずに凶器ばかり振り回して居ればそうもなるだろう。

高千穂はさっさと湯飲みに二杯めのお茶を注いで、またごくごく飲んでいる。
ちなみにお茶菓子の費用は支給されているフラスコ計画の研究費から交互に出す取り決めになっている。
平均して週に三日ほどか――すでに習慣となったお茶の時間で交わされる会話は真実、他のメンバーの
動きや研究に関する話題なのだから、胸を張ってやましい会計でも何でもないと言える(高千穂談)。
それに甘味でも口にして糖分を摂取していないと、頭を使った高度な話が出来ない(これも高千穂談)。

友達ではないから、友達らしいくだけた話もしたことはなく。
未だ――友達だとは思っていなかったから。僕はその昔、思いきって彼に訊いたことがあった。
 
 
『ところで高千穂。きみは僕と友達になってくれるかい?』
『ヤダね。俺は強い奴にしか興味がねえし、そもそも俺に触れもしねー奴と仲良くなんかなれねえさ。』

即答だった。もちろん僕とて、心の片隅でははなから諦めてかかり訊いていたはずだ――にもかかわらず、
あまりに即答だったので絶句してしまった。しかし言い切った態度は冷淡であると言うよりも、
遠慮が無さすぎてむしろ清々しくすらあったのが印象的だ。あくまでも彼は、自身が本当に求める『強い奴』
以外には全くと言っていいほど心を動かさない男であり。その上、卑怯の心得もある最強の男ときた。

最強でしぶとくて、そうそう死ななさそうな。それも分かりやすい卑怯。友達でもないのに、
友達になる気もないくせに、こうして自分の研究の合間を縫っては会いに来る理由を何度も考えた。
何度も僕が殺そうとする度にかわしてみせては、にかりと不敵に笑ってすぐに近づく意味をどこまでも推し量った。

しかれど結局、肝心要の答えは分かりやすくなんかなくて、先行きも見えないままに進級。
ついにはフラスコ計画自体に外部から横槍が入ったとあらば、こうして誰かと話し合いの場でも持たないと――
自分がもたない、と直感した。初めて僕の方から今日、彼をこの庭園に呼んでいた。
 
 
湯のみは二つとも、もう空っぽになっていた。
縁側に腰掛けて手持ち無沙汰に脚を投げ出した高千穂は、庭の緑をぼぉっと眺めたまま問うてくる。

「お前はどうする? 生徒会執行部が乗り込んできて、地下九階まで突破したとしたら」

「だから殺すよ。そもそも施設の順路から言えば、もしもの話、
僕が出会うのはきみをぶっ飛ばした連中ってことだろう。遠慮せず殺して帰ってもらう」

『だから殺す』。それが必ずしも文字通りの意味ではないことは暗黙の了解だ。高千穂は僕のカラクリを知っている。
兎も角諦めさせるためには怖がらせなければいけないし、怖がらせるためにはそこそこ殺すのが
一番と言う理屈だった。たとえば紙一重で、危機一髪と言うべき状況下で身体の一部を切り落とせば、もう。

刀を研いでおこうかと、柄にもなく思った。
そうなると明日までもう暇ではない、菓子箱に添えられていた懐紙で手を拭きながらやるべきことを考える。
けれど高千穂は、どこか煮え切らない風にため息をついて、再び口を開く。

「でも、思うんだけどさ――そいつらは視察に、つまりお前に『わざわざ会いに来る』んだよな?
もしもの話、仲良くできるかもしれねえぞ」
「無理」
「即答か。そう悲観するな」
「悲観はしてない。ただ毎日わざわざ会いに来ておきながら、僕を友達だと定義しないきみに言われても説得力に欠ける。」
「ぶっは!」

爆笑だった。そこで僕はやっと顔を上げた。
大男の大笑いと言うのはなかなか迫力があった。どうかしたら空調が乱れるんじゃないかと案じるほど
高千穂は派手に吹いて、咳きこんで、ひーひー言いながら目尻に薄ら浮いた涙をぬぐってさえいる。
そうしてようやく呼吸の落ち着いた彼は、ゴチソウサマデシタと手をあわせてから立ち上がり、
振り向きざまにほがらかに笑った。

「はは、そっか。そーだよな。
『枯れた樹海』も拗ねたりすんだなァ。さすがにポイントもレベルも高けーわ樹海ルート。攻略してえ」
「……、」

樹海ルートって何だ。あの、必死で決死を思い止まらせようとする、目頭の熱くなる看板がそこら中に
立ち並ぶ富士山麓の小道のことか? なるほどそうか、だったら最後にぼそっと呟いてよく聞こえなかった
のは「行楽したい」とでも言ったのかな。富士山はいつか僕もいってみたい観光地のひとつだからなあ!

笑われた心外な事実から思いきり目をそむけて、ひとしきり遠い地に心奪われ思いを馳せてみる。
気付けば縁側に腰かけたままの僕は自然と高千穂を見上げる形になっていた。
低い視点から見上げた背丈は普段目にする以上に高さが上乗せされて、そんな姿がとても堂々として見えるのは、
しかし距離感のせいだけではあるまい。

何となく、この身長差がまさに動かぬ証拠なんだと知ったかぶる。きみより弱い僕にきみは興味がない。
対等な人間同士でないから、友情は成立しない。よりによって行橋のかつての言葉が思い出される。
この時正面に鏡の一枚でもあれば、僕がどんな目をしていたか僕は在りのままに知れただろうに。
目が合った高千穂は、あの固く編みあげた髪をがしがしとかきながら事も無げに言った。

「お前、澄ました顔より拗ねた顔のが似合ってんぜ。それで生徒会の連中も一発笑わせてやりゃいい、人前で人目をはばかるなよ」
「……あいにく僕に他人を笑わせる力はないよ。て、きみが一階で追い返せばいいだけじゃないか。」
「その他人の俺が今笑わせられたろ。なァに安心しろ、
お前にあっさり殺されるような奴には道を開けねーから。ほれ、これ取っとけ」

桜餅の最後のひと包みを箱からひょいと摘み上げて、高千穂は僕の前に差し出す。受け取ろうとした瞬間に
僕が刺すかもしれないなんてことは全然考えていなさそうだったので、僕はありがとうと一言だけ伝えて
受け取っておいた。どうしてかずっと前から、お礼を言ってみたかったような気がした。
不器用な指先と違って言葉はいつまでも汚れない。天上無き天井の空と枯れない庭で――
そんな殺風景な景色と僕の顔を交互に見つめた彼は、トレビアン、と一笑した。

「明日、お前ンとこに生徒会が現れたら、殺した後でいいから俺のフロアに来て助けてくれよ」
「……分かった。桜餅二個ぶんくらいは役に立ってみせよう。」

扉が閉じるまでを見届けて、指切りも繋いだこともない手を軽薄に振る。
 
 
僕は庭に降りた。
飛び石を踏み、小川をかたどった水路に沿って歩くと足元でかすかに砂利が鳴る。水草の茂る池のほとりで
歩みを止め、流れる水のせせらぎと鹿おどしの残響に耳を傾ける。入口の近くにどこか墓標のように
突き立った槍は、視界の端できらりと光を反射して。緻密に計算し尽した気温と気圧と湿度と光量と風量、
その他いろいろな要素を重ねて計算通り『晴らした』世界の形を、研ぎ澄ませた五感でとらえた。

絶対に、邪魔をされる訳にはいかない。まだ甘くて苦い舌を持て余して、僕は予測する。
明日、万が一にも生徒会に遭ったなら、僕はきっとやるべきことを済ませた後で一階へと向かうはずだ。
迷路に迷っても、めった刺しにされていても、今日の約束を果たすために行く。友達でもないのになんで
そこまで頑張るんだと行橋は疑うかもしれないが決まってる。決まりきっている。定義なんかどうだって
知らない、こうも毎日わざわざ会いに来てくれるから、今度は僕が遊びに行きたい。
それに借りたものは――返しに行かなくちゃ。

たとえば半分ダミーであっても高千穂の研究の一部を構成することには違いない、
ささやかな予備データが詰まっているUSBメモリとか。

ゆるく握った手の中にある桜の花柄の包みは、お菓子のそれよりも小さくて、ほんの少し重く感じられる。
もどかしい手つきで外装をちぎっては剥がして、やがて花びらの淡い印刷の下から現れたのは、
彼が以前に持ち歩いていた黒く無機質な記憶媒体。魔法のように、卑怯な手際で。
別れ際に預けられたそれは、ほのかに甘い桜の匂いを漂わせて、僕は春をもらったようだった。