潔白の証明

父親の帰りが待ち遠しかった。今日こそ大人になって、おれからがつんと言ってやろうと思った。
 
 
早く大人になりたがって、靴を揃えるのもそこそこに、母親のいない台所へと忍び足。
力の限りに背伸びして、おれは冷蔵庫の真ん中の扉を開け放つ。勢い余って尻餅をつきかけるも
決して広くはない我が家だ、すぐ後ろのテーブルにしたたかに背中をぶつけて踏みとどまった。
そして庫内から牛乳パックを抱えるように運び出し、口をこじ開け、いつものコップにどくどく注ぐ。

網戸越しに聞こえる警報みたいなセミの声が耳障りだったが、腹立ちまぎれに扉を叩き閉めたところで、
炎天下に居る彼らはあと一週間は鳴きやまないだろう。大体そんなのを待っているヒマはない、
おれはもう決心したのだ。一分一秒でも早く大人になろうと、牛乳を飲んで大きい身体になることを!

「――ぷはっ、」

なみなみに注いだ牛乳を一気に飲み干して、なんだ意外といけるじゃないかと勇み立つ。
給食の時間によく早飲み競争をやっているクラスメイト達が思い浮かんだ、
楽しそうなその輪には今日も上手く交じれなかったけれど、いざやったら案外おれが勝っちゃったりして。
呷って二杯目、いけいけどんどん。

「…………っ!」

あっという間に軽くなるグラスをテーブルにだんと叩き置いてみる。力が漲ってくるようだ、
この調子でおれが大きくなれば、『あいつ』のどす黒い胸ぐらを掴んで家の外に放り出したり、
お父さんは騙されていると、ちゃんとした言葉で説明も出来るだろう。
いやいやそんなものでは生温い、大きくなるならいっそ怪獣ばりに巨大化したっていいくらいだ。
そうしてありんこを踏み潰すみたいに、にっくき“昔からの友人”だって一ひねり。

この目で誰かを救えるかもしれない絶好のチャンス。
そのためにも自分は大きくならなきゃ、これで数えて――三敗目。

「う、ぐ」

上手く息継ぎをし損ね、手のひらで口もとを押さえつけた時にはももう遅かった。
むせたせいで激しく咳き込み、飲み込み切れずに零れたそれは肘までずると伝い落ちる。
濡れた半袖がべたりと皮膚に貼りつく感触、そして息苦しさにうつむけば、もうお臍のあたりが少しふくれて見えた。

……冷たいものを無理して飲んで、お腹を壊すかもと分かっていても。
だけどおれはそんなことより、もっと別の『目に見える』ものが壊れる方が恐ろしくてならなかったのだ。
悪寒を覚えるほどのあんな悪心、そして、それを疑いもせずに友達だと呼んだ家族を「見」てしまっては。

「……げほっ……、はっ、はぁ……っ!」

ほとんど体当たりするように洗面所に走って、蛇口を思い切りひねる。
苦しさに咳き込んだら水の渦に白い唾が滴るけれど、喉奥は緊張した時のようにいまだ固く締められたままだ。
汗をかいたコップにさっきまで触れていたせいか手まできいんと冷えて感じて、指先が白むほど洗面台にしがみついたら――
世界はぐにゃりと醜く歪んで、頬はぼろぼろふやけてく。鏡の中で泣きじゃくる彼は、可哀想で見てられない。

(まるで誤飲だ、こんなのは。身体の中から洗えたのならそれはそれで良いけれど、
牛乳色をどんなに飲み干しても、どうして悔し涙は透明に流れてく。)

小さい自分の言葉には、まだ誰も耳を貸してくれない。
一体どれだけ大きくなったら、自分の言うことを聞いてもらえ、自分は悪くないと言い張れるのか。
乳臭い甘さと石鹸の匂いが不穏に交わる狭いそこでは、助かる方法を考えるだけで胸が張り裂けそうだった。