パートリーダー全員に認められろ、との指揮者志望に課せられた試練も佳境に差し掛かった初めての春、
リーダーらもまた、おのおの初めての試練に苦心していた。
新入部員を集めるための勧誘ポスターを、1パートにつき1枚書くようにと、谺先生からのお達しだ。
「――オレこういう細けェ作業苦手なんだよ。だから滝田、今金、お前らも描いてくんねェか、頼む!」
新歓演奏会の練習後、めずらしく困り顔の棟梁に手を合わせられたとあっては、頷かない理由はない。
準備室にあったペンを拝借し、文殊の知恵とばかりに机を寄せて悩み始めると、我らがリーダーの
待ったが掛かる。
「おい、担当が逆じゃねェか。なんで滝田がグロッケン描いて今金がスネアなんだ」
「そりゃあ今演奏してるのは逆ですけど、ボクはこっちが見慣れてるんで……、なあ?」
「まー、描く分には小学校から見慣れた方がね。ていうかウチらに丸投げしてないで、
ぜひ達筆を見せてくださいよ!」
冗談めかしてはにかむと、オオと棟梁は胸を張って筆ペンをとる。長年の愛着を持って描いた
温かみのある打楽器のイラストに、無骨で力強い筆文字はびりっと目立つアクセントだ。
「……去年、もし楽器交代してなかったら、ボクはやっぱりスネア描いてたかなぁ」
「うん、多分。でも、今よりしんどかったかもね」
「ハハ! ったく、神峰が、お前らが居なきゃ、今日だってどうなってたことか。」
額に巻いたバンダナの下、気配る心は今日も三方向、春の陽光に目を輝かせている。
――今日はツイている、保育士さん以外には誰も居なかった病院の託児室を、オレ達はちょっと間借りすることにした。
勧誘ポスターを作るために、クレヨンやら折り紙やら、イラストの参考にする絵本のあるここは
うってつけなのだ。
子ども好きゆえにほいほいついてきた奏馬には、残念だろうが。と、入口から廊下を見回す目がきらりと輝く。
「ああぼく、恥ずかしがってないでこっちおいで! お絵かきでもしないか?」
迷っていた親から爽やか笑顔で子を預かり、せっかく空いていた託児室にさっさと連れ込みやがったのだ。
「スペースを借りている以上僕が面倒見るから、音羽はリーダーの仕事を」と諭されたらぐうの音も出ない。
渋々作業を始めた横で、彼はガキが興味を示したトランペットケースまで公開してやる世話焼きぶりだ。
そのつぶらな瞳に黄金色が映り、おえかき、と手を伸ばした先には黄色のクレヨンがあった。
……三十分後、診察を終えて迎えに来た母親に飛び付き、男の子は帰って行った。
画用紙からはみ出すくらいのトランペットの絵は置き土産だ、またねお兄ちゃん達、と黄色くなった手を振りふり。
「ふう、ポスター完成。手伝ってくれて助かったぞ、奏馬」
「おいこれこのまま使うつもりか。高校三年生にもなって……オレは悲しい……!」
「お前は親か。何が悪い、新歓演奏会の練習にもなったのに」
子どものリクエストに応え、お絵かきする描く横で何曲か吹いた。
部活以外での初めてのお客さんだ、対価は、一枚の上出来な勧誘ポスター。
――白紙のそれを手に、あたしは掲示板の前でまずレイアウトを考えてみた。
十二枚、上から詰めて貼るとして……、あと数センチ足りない高さに背伸びしていると、
指先から滑り落ちた紙をさっと伸ばされた手が押さえてくれる。刻阪君だった。
「出しゃばってすみません、これでどうでしょうか」
「あ、ご、ごめんね!……ここ結構日当たり良いんだなぁ。濃い色で描いてもいいか。ありがと、」
自然と伸びた背筋で紙を受け取ると、刻阪君は失礼しますと頭を下げた。廊下を歩くその背後が
何か物足りない気がして、神峰が横に居ないのだと気づいた時、何気なく聞いてしまった。
「そう言えば、めずらしくない? 神峰だけ先に帰ったの?」
「はあ、今日は天気もいいから御器谷先輩とトレーニングだとか」
「へえ……、あ、あいつが気になるとかじゃないの! ただ、神峰の面倒は刻阪君がいっつも見てるから」
「ですかね? それなら歌林先輩もですよ、神峰に曲選びのアドバイスしたり、ありがとうございます」
やっぱり面倒見役みたいにお礼を言う彼に、心を見透かされまいとつい目を逸らす。
あたしは、すごいと思う人が大事にする人のことも、手助けしてあげたいだけなのだ。
――自室のミニテーブルにペンと画用紙を広げて、作業開始。
右手で余白に落書きしながら、吹奏楽部関連のメモや資料や楽譜やらを詰め込んだ引き出しに左手を掛ける。
つい先日部屋に増えたぬいぐるみの一員、魚をかぶってバッチリ親指を立てるクマに寄りかかって。
「ああ、新入生勧誘かぁ。あたしの入部の時、どんな風だったっけ?」
過去のチラシを参考にしようと考えたはいいが、この中から見つけ出すのには苦労しそうだ。
あるいは別の段にもしまっていただろうか? 一番下から順に出していくと、引き出しの階段が出来上がる。
そして一番上のステップにあるのは、あの後神峰の手から返してもらった『最後の写譜』。
……はたと気付いた時すでに遅し、右手の先には、いつかチョコペンで描いた憎めない顔がある。
「……ほんと、どうなってたんだろね。あんたが居なかったら」
クマのぎざぎざの毛並みを尻目に、落書きに綺麗に消しゴムをかけた。
文言に添えた小さなハートの、左側を丸めに右側をぎざぎざに描く理由は、まだ誰にも教えない。
“初心者歓迎。ピアノ歴半年のど素人な二年生も居ます。安心して一からやってみよう!”
「――ただいまー、ってお姉ちゃん!?こんな散らかして何やって……」
「聖月お帰り~。鳴苑堂のミルクレープ買ってきてるよ、今お茶淹れるねぇ」
春休み、部活も休みなので実家に帰ってみたら、リビングのテーブルが漫画家の机みたいになっていた。
「来たれ吹奏楽部♪ようこそフルートパート」と色鉛筆で塗られた画用紙の傍には、散らばった大量の写真。
どうもそれらはすべて、吹奏楽部の打ち上げやお花見会で撮られたものらしいが。
こういう紹介ポスターって普通、演奏している写真を選ぶんじゃないだろうか?
「んーと、誰かを勧誘するって考えた時、神峰君を誘った刻阪君の演説思い出してさ」
ああ、あたしの知らない文化祭の話だっけ。
季節限定、フォークで運ぶひと口を味わいながら耳を傾ける(お姉ちゃんの甘さには、及ばないけど)。
「友達作りたいとか、格好いい先輩が居るから、クラスで人気の子に誘われたから、楽しそうだから。
最初のきっかけは何でもいいんだなって、思ったの。だからあの二人に、ピースで写って貰ったんだ。
聖月は、……今は、毎日、楽しい?」
むぐ、喉につかえそうになる。この間は渡り合わねばならないライバルにぬいぐるみを貰ったばかりで、
その上お姉ちゃんまで心配してくれるなんて、甘やかされ過ぎだ。
そんな恥ずかしさを紛らわそうと、綺麗に重ねられた層をわざとざくざく食べて、言いのけた。
「て、て言うかあたしは、お姉ちゃんを見返すために吹奏楽部に
……いやまだ達成出来てないから! 神峰君が指揮する鳴苑なんか、こんな風にたいらげちゃうんだから!」
――新歓演奏会に向けた練習後、メンバーを先に帰して音楽室に居残っていると、メグに声をかけられた。
「ポスター凄っ! え、このオーボエ吹いてる女の子、雅が描いたの? 可愛いすぎるんだけど……!!」
「大したことないよ。いつも読んでる少女漫画を思い浮かべてお手本にしただけで」
「喋ってる間にさらっとマスコットキャラまで添えといて謙虚な!」
いつも人の中心で堂々としているメグにこうも感動されると、否がおうにも手が止まってしまう。
趣味と呼べるほど描き慣れてはいないが、こうして人に見せたのはそう言えば初めてだったか。
難しいと持て余される担当楽器を初めて吹けた時だって、ここまで喜ばれなかった気がする。
それは多分、「空気を読んだ」演奏と違って、このイラストは「空気読んでない」から、とか?
「なんかちょっと、キラキラしすぎて漫研の勧誘っぽいけど。
新しく入る子にも、明るい雰囲気が伝わったらいいなと思って」
紙上で羽ばたくマスコットキャラをなぞる。今日メグにこうしてほめられたのも、指揮者志望のおかげさま。
「――あー面倒クセェ、コントラバスパートってなんで作業する奴がオレ一人しかいねェんだ
……あ、そうか。だから新入部員勧誘すんのか」
よし、手を打って善は急げ。ライブハウスに顔を出す前、コンビニに寄ってスマホから写真を印刷した。
ロックフェス近影の使い回しだが、他のパートリーダーも写っているし紹介には丁度いいだろう。
写真に一番目立って映る、左右髪質が違うそいつの澄んだ目に勿体なくも油性マーカーで目隠し線を引いて、
頬をつつくように矢印を足して。勿論オレが一番に叩き斬るのだが、敵は多いに越したことはない。
“WANTED こいつを叩ッ斬りたい奴は名乗り出ろ!”
「――こうやって美っちゃんと一緒にお絵かき、なんて、懐かしくなるね」
「あはは、本当に! 舞のはどんな風にする? てかこれ、写真載せてもいいのかな」
赴いた図書室の広い作業机に、画用紙を広げてひそひそ話。
行事イラスト集やタイトルロゴ資料を参考に、司書の先生に借りたカラフルなペンを握る。
楽器の実物もあることだし、協力して描けばきっといいポスターが出来るだろう。
すると眼鏡のブリッジを控え目に押し上げ、舞はわずかに表情を曇らせる。微かな呟きが、静けさに落ちた。
「……ほんと、元気な一年生達が入ってきてくれたら、後の心配もなくなるなぁ」
「ちょっと、何もう引退気分なの!? やめてよ、」
無理に笑い飛ばした声は、ぐっとボリュームを抑えたせいか最後が変に気弱に聞こえた。
指揮者志望ならどうやって応じてあげただろう……、反射的にそう結び付けたことに気付いて、
桜色のペンを、あたしは無意識のうちに痛いほど握りこんでしまっていた。
「――なぁなぁ壬、この時期は一年勧誘で忙しいんだろ。もしかして、今日もそれで遅くなったか?」
「別に特別なことはしないぞ、咲。勧誘ポスターを作ったくらいだ」
「へー面白そう、オレに見せてみ」
「……ほら」
「…………ぷ……くくっ、うはははは! あっ待て隠すな!」
リハビリ室から戻る途中、車椅子で地団駄踏む咲に背を向け、オレは畳んだチラシを鞄の底にしまう。
だから見せたくなかったんだ、この男は昔から妙なセンスの良さがあって、
たまにつまらないと笑われるから、今回もそうからかわれたんだと思ったのだけれど。
「誤解すんな!あんまりよく出来てて笑っちまったんだよ、オレにはこんな器用な真似、出来ねェし!」
チラシの周囲をぐるりと飾り切って、額縁さながらに仕立てただけのことに、咲はえらく感心しきりだ。
春だから桜の花びら、チューバの切り絵、安直だけれど。入学式を過ぎたらもう散り始めだろうから、紙を代わりに。
ちょきっとハサミの刃を閉じる風、親友の笑顔の目配せに、お世辞は止せとそっぽを向いた。
……あの指揮者志望をふと思い出して、不愉快になったのだ。
壁にぶち当たっても濁らないあの眼差しが、ダブって見えたりするものだから。
――自宅のパソコンとプリンターを起動し、文書作成ソフトを立ち上げる。
別に煩わしさはないが、出来るなら手早く済ませて新歓演奏の練習に取り掛かりたい。
百聞は一見にしかず、ポスターの謳い文句を考えるより、完成された演奏を一度聞かせる方が合理的に思える
からだ。だからトロンボーンに関しても小難しいことは何も書かない、むしろ全体のバランスを考えて、
戦力の手薄な他のパートへ入部を促したいくらいだ……なんて、指揮者じみた考えを浮かべ。
定型句を打鍵する指先、白いキーボード、五線のない白紙。見間違える訳もないのに。
かぶりを振って、再開する。自分で自分の首を絞めるような、心と身体が切り離された感覚に襲われた。
「――おお、全パートのポスターが揃うと圧巻だな! これで勧誘も上手く……どうした神峰!?」
「オ、オレ顔出しするなんて一言も聞いてねェ!」
「そんなのいちいち許可取るわけないだろ、だってお前吹奏楽部の一員なんだし」
頼りない肩をぽんと叩いてみたが、割とマジでがたがた震えているので逆効果かも。
まあまあとなだめていると、ぬっと横から小さな人影が割って入った。
「二人とも、こんな所で遊んでないで誘いに行かなきゃ」
「あ、御器谷先輩スミマセン! つか、ファゴット・バスクラリネットのポスターも斬新スね」
「ふふふ……恥を忍んで人目を引く、これぞ卑屈の極致」
自虐なのかギャグなのか微妙だが、斬新だとは心からの褒め言葉だった。
一見白紙っぽいポスターだが、よく見ると隅っこに自信なさげな小さな文字で歓迎の挨拶が書いてあるのだ。
曰く「一枚だけ何を書いているか気になって皆近づいて見る→つられて全部のポスターもよく見る」
なる広告効果を狙ったらしい。
「……それにしてもこの勧誘ポスター群、ボクにはどれも一途なラブレターにも見えるけどね、
刻阪君。じゃ、勧誘頑張ってね」
「は!?……刻阪、オレが知らねェだけで、音楽用語にあるのか?ラブレターって?」
「あー……つまり新入生を恋人に見立てて、パートに引き込もうとライバルがひしめいてるって例えかな」
「へ~、御器谷先輩って意外と詩的なんだな」
……僕の素知らぬ振りで、勝手に詩人キャラにして申し訳ありません先輩!
だけれどこんなに身内にライバルが多いなんて、その上今から新入生とも戦わなきゃいけないなんて、僕も改めて思い知らされたのだ。
モコに気があるかもなんて、的外れな心配してる場合か。
一緒に海から救い出しただけで、一緒に音楽始めたからって、そんなんで心を繋ぎ止めた気になってるんじゃ、全然足りないのに。
「よし、腹ァ括ったぞ刻阪。今日ばかりは頑張って心見て、上手く新入生を誘ってみせっから!」
「ああ……そうだ。ここは僕達の部活だ、僕達の学校だ、僕達の居場所だ!!
何処の誰が来ようと守り抜いて見せる!!!」
「なんだその戦場みてェなテンション!?」
冷や汗を流してパニクる彼の、手を引いて距離を確かめる。
右手は指揮棒を握ってていいから、左手はどうか、僕の為に取っておいてくれないか。
もしも群馬県に海が一滴もなかったら
失意の底で涙するセイレーンを、見つけ出すことも叶わなかった。
そしてお前が吹奏楽部に、鳴苑高校に、群馬県に居なかったら、僕は。
きっと渇いて生きられない、だから世界の果てへでも飛んで行って、心を離すまいと手を繋ぎ続けるだろう。