暗器ではなく紙のページをつまんで、右腕は音もなく動いた。
ちらりと盗み見た先で、彼は戦うように息を潜めて肩をわずか左右に揺すっていた。
読んでいる漫画のちょうど盛り上がる展開にさしかかったのだろう……、
より正確には、彼は戦場に立ってもおらず、座布団の上にあぐらをかいていたのだけれど。
短い付き合いながら、彼が立ち読みをするところはあまり見たことがない。
日曜日、宗像先輩が俺の家に遊びに来ていた。
普段二人でやるのは勉強会が最も多いけれど、今日はたまの息抜きに読書会だ。
それぞれ持ち寄ったイチオシの愛読漫画を交換して楽しんで……、あ、ティッシュ箱が空になりやがった。
うるさくないよう俺は控えめに鼻をすする。まったく不経済な漫画だ、ひっきりなしに感涙を誘い、声を殺して泣かせてくれる。
俺が涙を吸わせる布地を求めてベッドからタオルケットを引きずり出していると、
宗像先輩はふとページを閉じて宙を仰ぎ、憂えた。
「……右腕が痛い」
「……右腕?そりゃ、感情移入という意味での漫画の読みすぎか……否、ページのめくりすぎですか」
「両方。二重苦だ」
かぶりを振って、もう本を置いた右手を宗像先輩はさする。
その表紙には色鮮やかに、右肩から先に鋼鉄の義手を接続した主人公がかっこよく躍動していた。
にもかかわらず顔をしかめた原因は、義手を生身に取り付ける過酷な手術シーンだという。
「ああそこ、痛々しいですもんね。じかに泣き声が聞こえてくるようで」
「そうそう。って、今の僕にゃリアルに隣から誰かさんの泣き声が聞こえたのもある」
「う」
確かにこうして一緒に居ても人目をはばからなかったが、痛いところを突かれたせいで苦い顔になる。
宗像先輩はちょっと意地悪そうに八重歯を覗かせ、膝歩きで一歩擦り寄った。
「それとも。人吉くんも右腕が痛くて泣いていたのかな?」
「まさか!俺はほらこの通りぴんぴんして、」
俺が腕まくりをし、肘を直角に曲げて二の腕に力こぶをくっと作ると。
その血の通ったふくらみを、熟れたくだものでももぐように、先輩の右手の五指がやわらかく掴んだ。
筋肉が張り詰めるその弾力を確かめるよう、彼はもにもにと好き勝手揉み始める。とっさに動けない。
接触面がふいに熱を帯びた。人肌一層隔てた下の、血管を走る血の巡りが分かるような。
まるで腕試し小手調べ、目を近づけて俺の右腕を鑑定するような。
そうした末に音の聞こえそうな大きな瞬きをしたかと思うと――宗像先輩はあっと驚いて手を放した。
「なんで、治った。人吉くんに触ってたら、なんか痛くなくなっ……変な顔で見るなよ。真面目なのに」
「ええ……まさか、俺がそういう霊験あらたかな地蔵だとでも?身体の悪い場所と同じ部分をさすると良くなるみたいな」
「うーんそうだな。嘘じゃないよ」
かつてない真面目顔で不思議がる先輩に、俺はふと悪戯心が湧く。
今度は俺から距離を詰め、膝で立ち背を伸ばし――無防備すぎる彼の頭に手を置いた。
張りのある髪に指の第二関節までを埋め、さらさら、よしよし、手触りのよいそこを撫でてみる。
「カッ、そういうことなら俺も頭良くなっときますかね!あんたからは悪知恵も良心も学びましたし。俺も同じくらい、すごくなりたい。」
「……しまった、ヘルメットもハンマーも忘れてきた。これが“叩いてかぶってじゃんけんぽん”なら、僕の負けだね」
(あなたから教わったことで、いつかあなたにお返しをしたいと思う。)
勉強しても漫画を読んでいても、結局いつも最後は、こうして右と左に並んでおしゃべりになっていた。
宗像先輩は唇を少しかみながら頬を緩め、自然にのばした右手をどさくさまぎれに俺の心臓の上にひたと当てる。
未熟で分からない俺は意味を尋ねたけれど、その答えだけは勉強会のように、分かりやすく教えてはくれなかった。