魚は月曜に飛び跳ねる

「駄目だ、あきらめる。さっぱり分からん」

真っ黒になるほど走り書きを連ねたノート、
積もった消しかすの山、電子辞書、虫眼鏡、赤ペンにシャープペンシル、開けかけの菓子袋。
それらで乱雑に散らかった上に、うめき声をあげて人吉くんはついに突っ伏した。
隣の席で心折れる彼を、陸に打ち上げられた魚のようにも見まがう。
人けまばらな放課後の食堂にて、しきりにメモを取りながら、ああだこうだと意見を論じ合う三年生と一年生。
かれこれ二時間、はた目には勤勉で熱意ある学生達に見えているだろうが、実情はだいぶ違った。

何故なら僕らが並んで座る机の中央には、教科書ではなく――
本日発売の週刊漫画雑誌が開かれていたからだ。

今週、僕らが愛読する作品の中で提示されたひとつの難解な暗号。
それは作中で消えた主人公の行方を示すと同時に、作者から読者への挑戦的なクイズ企画でもあった。
なんでも、いち早く答えを導き出した応募者にはファン垂涎のプレゼントが贈られるとか。
当然、がぜん僕らは張り切り、購買で買いもとめた一冊を前に悪戦苦闘――

……していたところ、後輩の悲痛なギブアップである。
普段はつんつん跳ねた黄土の癖っ毛も、鱗を削がれたようにへたってしおれかけ。
それこそまな板に寝かされた風に眉根を寄せ、目をつむった横顔の前で
(オレンジ色の夕日を産毛にのせた、眠たげなまぶたがすぐそこにある、)
僕はゆらゆらシャープペンを振ってみた。

「……もう限界?せめてあと半時、下校時間までは粘ろうよ。このためにお菓子だって選んだんだろ」
「うう……レジ横でつい一緒に買ったが効果ねえな、小魚ピーナッツ」

もうページがくたびれるほどめくった漫画誌を横目にのろのろと身体を起こした人吉くんは、
恨みがましく菓子袋をねめつける。それには『よく噛むこととカルシウムで、お頭が良くなる!』
なんて宣伝文句が踊るけれど、学校側としては、よもやクイズ問題を解くのにアテにされるとは夢にも思うまい。

と、不調な後輩を前にして僕は一計を案じる。
香ばしい匂いのする袋からひとつまみ、隣に椅子ごと向き直った。

「人吉くん。はいあーん」

何の疑いもなくぼーっと口が開く。その奥の青白い奥歯めがけて、僕はすかさずじゃこを放り込んでみた。
怒られた。

「俺は鯉か!」
「ああ。恋だと思う」
「違げえし」

一口分をもぐもぐ噛み砕きながらの不服そうな声。まあ、確かに人違いだ。
なるほど確かに目覚ましい効果はないな、小魚ピーナッツ。僕を警戒しないなんてどうかしてる。
もう残り半分ほどになった中身は、砂時計のごとくに費やした時間をそのまま現していた。

(ならばもしかして、これを全部食べて頭が良くなってしまったら、彼もまた僕から逃げおおせたり?
解けない暗号を託して消えた主人公のように。)

そうやって頬杖をついてつらつらと思考にふける内に、僕も大概、警戒心を薄れさせたか。
襟をくいと小さく引かれ、見れば人吉くんがデビルに口角を吊りあげている。
じゃこをつまみあげる人差し指と親指と中指、爪は日の色をかすかに弾く。

「仕返しだ。口開けろ宗像先輩」

従って口を開けた。
というか思わぬ餌に身体は見事に釣られていた――勢いあまってほんの指先まで含んでいた。
(切り揃えた爪と前歯がぶつかって、かちと間抜けな音が聞こえた。甘じょっぱい海の味が舌ににじむ、)
さながら『真実の口』ばりに、彼はぎゃっと叫び声を上げ慌てて右手を引っ込める。

「ピラニアかあんたは!」
「いいや、恋かも」
「鯉は噛みついたりしねえよ!もう、そんなふざけるなら残りはやらねえからな、」

一気にまくしたてながら、人吉くんはやはり、右の掌の上で乱暴に袋を逆さに振る。
砂浜みたいにざらざら落ちた全部を掬い上げ、そのまま尖らせた唇へ運んだかと思えば―――、
ばくん、噛みつくように食べてしまった。むしゃくしゃ、右向け右に逆らうように。
というか、さっきのも、今のも同じ手……………………これ、間接なんちゃらってやつでは?

ちょっとだけ意地汚く指先をなめる人吉くんは、
衝撃すぎて干物みたいに固まってしまった僕に気付くなり、肩を跳ね上げぎょっとする。
そうして空になった袋と僕をせわしなく交互に見比べ、しどろもどろに声を上げた。

「な、何ですか。そんなに俺が独り占めしたのが悪いんすか、小魚ピーナッツ」
「いや、悪くない。きみは全然悪くない……むしろ泣ける」
「仲良く分けてたおやつをぶんどって二歳年上の男友達を泣かせてしまった!」

なんかすいませんと叫んで、人吉くんは椅子を蹴倒して駆け出した。
財布を握っていたところを見ると、もう一度同じ品を買ってくるつもりらしい。
目頭を押さえて反省する、なんだか悪かった。いや、こういうのも悪くない。

「ウソ泣きでも嬉し涙ってねえ。……それに暗号、難しいな」

餌に釣られ、掌の上で泳がされ、針に口惜しく食いついて。
暗号を残して行方をくらました主人公は、きっとおみやげを持って帰ってくる。

とうとう解けずじまいの暗号を諦めて、僕は静かにページを閉じる。
答えには辿り着けなかったけれど、二人して悩む時間を過ごせたというだけで儲けた気分になり、
僕は実に久々に読者アンケートはがきを出すことに決めたのだった。

(「宗像先輩が手刀ではがきを切り離してる!? なんだそのデビルかっけえ技、俺にも教えてくださいっ」
「うんいいよ。カッターナイフが無いとき役に立つスキル・太刀魚のような手。と僕は呼んでる」)