鬼事/イサカイ

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鬼事イサカイ
 
 
 

 

 
鬼事
 
 
「そんなにいやなら、断ればいいのに。」

それはまだフラスコ計画が現役だった頃、地下研究施設でのことだったか。
墓場に通じるスピーカー越しに思わず呟いた言葉に、監視モニターの向こうで彼女が振り返った。
二つのお団子に結わえた後ろ髪がくるんと弾むさまは、どことなくマウスの耳を連想させる。
たとえばそう、あの大きく開いた胸もとに大事そうに抱えている、数匹のマウスの亡き骸に似て。

≪なになに? 何の話ですか? 宗像先輩のほうから話しかけてくれるなんて初めてですねっ!≫

墓標の列の真ん中で自然とカメラ目線になり、彼女――古賀さんは明るく答える。

(これが、名瀬さんの視点なのだろうか?)
よく二人一組で居る彼女たちであるが、月に一度、習慣として地下九階の墓場を訪れる古賀さんは、
決まって一人だった。その時は決まってしかめっ面をしていることも、通信画面上で見て来た僕は知って
いる。ここでこんな笑顔を見たのは、話しかけた今日が初めてで。

「何の話って、その『荷物』の話だよ。名瀬さんの動物実験で死んだマウス達を、
定期的に僕のフロアに持ってきて、埋葬する……のは別にいいんだけどさ、どうもいつも、浮かない顔をしてるじゃないか」

向けられる笑顔とおしゃべりには慣れないせいか、最後は苛立ったような早口になってしまった。
図々しい口出しをしている自覚はある。
しかし包み隠さず言えば、ここへ来る時と普段とで彼女の雰囲気に落差があり過ぎて、心穏やかではいられないのも事実なのだ。
僕のことが嫌いなら嫌いでまったく構わないのだが(むしろ大歓迎だ、アブノーマル的に)、
それならいっそ、わざわざこんな場所に姿を見せないで欲しいのである。
通信画面を介して眺めても、ちょっとは殺したくなるものだし。
だから管理ルームで作業が一段落した時に、僕はつい愚痴をこぼしてしまった。

「そんなにいやなら、今度からは名瀬さんにきっぱり断ったらどうだい。友達なんだろう?」

嫌なお使いを他人任せにするな、簡単にパシるなと。もしもきみの友達が、だまって水を浴びせられる、
もの言わぬ植物でないのなら。だけれど古賀さんは――もの言わぬマウスとは違い、
生きた瞳でこちらを不思議そうに見つめた。そして苦笑いをにじませるように人差し指で頬をかいて
(土気色を帯びたマウスの毛が、そこに張り付くのも気にせず)、むつと尖らせた唇から返事をくれる。

≪なんで? 頼まれてもいないことは断れないよ、宗像先輩≫
「え」
≪大体タノシーコトだけじゃなくって、ヤナコトも一緒にするから友達なんじゃん≫
「ヤナコトって、」
≪私はわざわざ自分から言い出して、こんな後片付けをしてるんですって≫

(ぶっちゃけマジでドン引きだけど、それでも私は名瀬ちゃんの友達だ。)

「……ごめんね、意味がよく分からない。嫌味ではなくて、単純に僕の頭が悪いんだと思う。
作業の手を止めて済まなかったね。続けてくれていいよ」

≪そうですか?こちらこそ、説明出来なくてごめんなさい。えへへ、わたしもそんなに頭良くないし、普通ですしー≫

古賀さんは心底あっけらかんと笑って、いつもの場所へと歩いていく。当然モニター越しに追いかける
ことも槍を投げることも出来ず、後ろ姿を見送る僕には、やっぱりその理由は分からずじまいで。

――分からなかったその意味が、いま目の前に不意討って、赤い色をして溢れ出た。

「『なんで』はないだろう。球磨川くんはきみを、身を挺してかばってくれたって言うのにさ。」

練習した通りに投擲したブーメランは鋭く風を切って飛び、まるでがら空きの彼の体を叩き、めり込んだ。肉が打たれる嫌な音が聞こえた。
圧力に押し出されるように吐かれた血液が、ぼたぼたと垂れて彼の口許をひどく汚す。事切れたあの小動物を思い出す。
黒い制服が血の色を目立たせなくすることは、人吉くんを運んだ時にもう知っていた。

球磨川くんの痛みが分かる。きっとこの日のために重ねて来た訓練の最中に、
数え切れないくらい失敗してきた僕には、手に取るようにそれが分かる。

(まともにぶつかったらすごく痛いんだ。
肺が圧迫されて息が出来なくなって、とても立ってはいられない。投げて誰にも当たらずに戻ってくる、
最初の勢いをわずかに削がれたそれでさえ、受け取り損ねればいつも酷い目に遭った。)

だから、こんなにも綺麗に撃ち込めたところで、僕に喜びや達成感がもたらされることもなく、
ようやく悟ってしまう。頭が良くなった訳でもないものの。

「ひ……卑怯者!!」
「……、」

――これが友情の副産物。
恐らくこれが、「ヤナコト」なのだ。タノシくない。殺したくない。せっせと墓穴を掘る作業に、
心が軽くなるものか。人吉くんをダシにして恨みを晴らすのかと球磨川くんはあざ笑ったけれど、
これ以上彼を痛めつけて正義を謳ったところで、そんな晴々した気分は到底味わえそうになかった。

(どうして、降伏してくれないのだろう……)
銃口を突き付けて、心の中で愚痴をこぼす。
第三勢力を作るなんて間違っていましたと、すぐにでも頷いて逃げたらいいのに。
球磨川くんも喜界島さんも、僕なんかの言うことを真に受けた上で、どうにか対抗しようとする。

嘘は十八番だったはずなのに。
友達のために動く僕が目的を遂げるにあたって、何が欠けていると言う?なぜ、昔のように怖がられない?

「『だって宗像くん』『さっきからずっと仏頂面で』『にこりともしないじゃん』」
「……」

正と解を示す答え合わせのようだった。いつも浮かない顔で地下四階から地下九階まで降りてきて、
僕に返答する時だけにこりと笑った古賀さんの言葉が、悪い僕の頭の中でリフレインする。

タノシーコトだけしてきた僕に回ってきたツケが、あのぼろぼろの人吉くんであり、
そこのぼろぼろの球磨川くんでもあり、声を枯らせた喜界島さんでもあるのだ。
鬼のように追い詰めて初めて、あの言葉の意味が分かるなんて。

(言い得て妙だ。ぶっちゃけマジでドン引きだけど、こんな凶行にだって走るけど。
それでも僕の心はまだ、たとえ一方的な言いがかりだと誰に詰られようと、人吉くんの友達だ。)

(『お前なんか、僕達の仲間にもなれないお前なんか、幸せ面して普通とよろしくやってなよ。』)
過負荷を背負う彼の決別の言葉はどこかそう聞こえて。僕は堪らないほどに人吉くんがこの場に駆けつけることを願うけれど、
そうしていざ捕まってしまえば、その手を振り払うのかもしれないと悲しく危ぶんだ。
 

 
 
 

 

 
イサカイ
 
 
ことの一部始終を最後まで聞き終える前に、気づいた時には、俺は宗像先輩を殴っていた。

何が起こったのか、自分でも一瞬理解しかねた。がつ、と響く鈍い音がして、彼は上半身を大きくぶれさせる。
だがそこはお互いの体格と歳の差だ、完全に倒れ込むことはせず、すんでのところで直立不動を崩さない。
握り拳がかすったのか、ただでさえぼろぼろに傷ついていた彼の、乾いて塞がり始めた目もとの傷から、ふたたび血が流れ出す。
さっぱり事態が飲み込めないという表情に、我に返る。

しまった、そう危ぶんだ次の瞬間には、俺は思いきり頬を張られていた。平手打ちだった。
視界がちかちかとかすむほどの一発に、この両足でさえ立っていられない。
まともに食らった打撃にぶざまに尻餅をつくと、はっと息を飲む音が頭上から降ってくる。

「っ、……ごめん、人吉くん! ごめん……ごめんなさい、僕……うそ、違う……殺す気はもうない……」

宗像先輩は目の前に跪き、急いた手つきで俺を抱き起こそうとする。ひどく混乱しているようだ。
途切れ途切れに吐かれる言葉に、彼もまた、俺と同じくかっとなって手が出たのだろうと分かる。
小学生のケンカみたいなもので、勢いで手が出てしまってから、力に驚いて怖くなる。
誰にだって経験があるはずだ。だから彼は、悪くない。――そこまで冷静に慮ってなお、
俺が返事を出来ないでいるのは。背中を支えるのと同じ素手で貫いたと言う、喉が震えて仕方ないから。

「どうして……、人吉くんが泣いてるの?」

宗像先輩の指先に、皮膚の上から頬骨をなぞるように強く涙をぬぐわれた。
ひっぱたかれたせいじゃない、彼を殴った時にはもう、俺の視界はぐちゃぐちゃだった。欲視力も何もあったものじゃなかった。
俺が保健室に運ばれている間に何が起こったか、淡々と説明するのをあの口から聞いて、頭の中がパンクした。
言葉にならない言葉は、とっさに暴力となり果てて指先で訴えた。

――第三勢力を組もうとした喜界島と球磨川を襲い、ひとりを殺害し、奇跡的に誰も死なない茶番劇。

球磨川を絶命させた異常性が怖く。喜界島をも殺そうとした巻き添えに怒り。己を理由にされた凶行に苛立ち。
一言の相談もない独断先行にやる気が萎え。卑怯な戦い方が許せず。自分のために動いてくれた戦いが嬉しく。
自首まで見越した覚悟にただ頭が下がり。こんな人間と無事に一緒にいた時間に、鳥肌が立つ。

(喜べるか?人を殺せる友達がそばにいることは、ほら。)

……やっぱり、違うアブノーマルなのだ。
先輩は俺と違って、殺す技術に長けている。どんなにたくさんの暗器でも持ち歩ける。
ものの貸し借りのルールが全然なってない。学食の場所も目安箱のありかも知らなかった。
地下人工庭園の環境を一定にたもち、春夏秋冬、どんな季節も気候も天候も気温も湿度も再現できる。
植物のことに詳しい。植物を愛している。人間を殺せる。
味方でいて、安穏と友達でいていいのだろうか、たちまちわけが分からなくなった。

そんなすべてが嗚咽にすり代わり、息も十分に継げないでしゃくりあげる俺の、背中に手を置いて―――
宗像先輩は何度も何度も、さらさらと背中をさする。
何かを書いて伝えるみたいなその痕を、しかし読み解く前に、彼は力なくうなだれて呟いた。

「……だから、絶交する?」

瞠目。
疲れ切ったような声音に、槍で穿たれたあの懐かしい感覚が背筋を駆け上がる。

「このさき僕とはいられないなら……、きみとも、きみ以外の人間とも今日でお別れだ。
誰とも目をあわせない、誰も酷い目にあわせないで、ありのままの意味でひとりで生きてくから」

――暗器を貸してあげようか、と友達じみた提案をされたあの言葉がふとよみがえる。
最後まで聞き終える前に、俺は首を横に振っていた。何が起こったのか、自分でも一瞬理解しかねた。
いっそさよならしてしまえばいい、なかったことにすればいいと思う前に、宗像先輩の腕を掴んでいた。
殴りつけておいて離れたくはないと頼む、そんなわがままに手を焼くように、
困った顔をする宗像先輩の前で、俺は頬を濡らした涙を散らして拒否を示す。

宗像先輩に、表情らしい表情はなかった。
背中から離れた彼の手が、寄る辺なく宙をさまよう。

……やっぱり、アブノーマルだけれど。
ふたりは、同じ学園に籍を置く生徒で。同じ側の手で握手をし、同じ学食で昼ごはんを食べ、同じ教室で勉強を教えてもらった。
同じ映画を見て同じところで笑い、同じ日に同じ時間に同じ場所で遊んでもらった。同じ漫画を貸し借りして読んだ。
(どちらも漫画の好みは全然違っていて、だからこそ、貸し借りすることで俺達は二倍楽しんだ。)
めだかちゃんに殴られた時、俺はたまたま宗像先輩に借りた漫画を持っていた。それが諍いのどさくさに
まぎれて傷まないかがとにかく心配になり、終いには制服のポケットの片方を無意識にかばっていた――。

(絶交なんて論外だ。)

借りたものは……借りは、返さなければ。それにまだ、まだ、この続きを借りてはいない。
俺は宗像先輩と――続いていたい。この気持ちはどうしても押し殺せない。俺はポケットを手探った。

「俺は先輩と、仲良くしたいです。」

涙声のそれは、ちっとも格好つかないけれど。一日中そこに押し込まれていたせいで、やけに
くたびれたハンカチを差し出せば。宗像先輩はやっと仏頂面をくずして、雨のように落涙してくれた。