「お兄さんがたも、一葉どうですか?」
刻阪との帰り道、アーケード商店街の前を通りがかったら、しとやかな浴衣姿のお姉さんに声を掛けられた。
イチョウ、と一瞬ライバルの名前に聞こえて思わず冷やりとしてしまったが、横からぬっと現れるわれらが
群馬県のゆるキャラを見て、合点が行く。緑の帽子に付けた星飾りは、一年一度の夏のおめかしだ。
ドーム屋根の天井まで届きそうな青竹は、色とりどりの短冊をまとって、モデル立ちと見まがうばかり
――七夕祭りのキャンペーンで、通行人に短冊を配っているのだ。
「神頼みっていうか、星頼み? まあ、せっかくだからお願いしてみよう」
「分かった。ただ書き上げるまで絶対に中を覗くなよ」
「助けた鶴か。神峰の願い事くらい言い当てられるのに? 甘いお菓子をお腹一杯、とか!」
長机の上のペン立てから好きな色を選りながら、刻阪はなんだか分かった顔でにやりと笑う。
こうした願い事や希望なんかのポジティブな感情の集まる場所でなら、
オレでもわりと快適でいられると見越した上でやっているのだ。
道理で今日は七夕――牽牛星めいた彼に連れられ、オレはさしずめ飼い慣らされた牛か?
いや、刻阪の友達でいられるのはとてもありがたいけれど、刻阪の牛になるのは気が進まない。
もうもう、間延びしたため息つく間に、彼はさらっと願い事を書き上げている。
「『姉さんにいい報告が出来ますように。』……へえ、いい願い事だけど、モコちゃんじゃねェの?」
夏休みを挟んですぐの全国コンクールに向けた願い事なことは明らかだが、普段から幼馴染を溺愛しながら、
ここには名を挙げないのだろうか。すると刻阪はゆったりと首を横に振る。赤べこみたいに。
「うーん、モコはなぁ。もしもいい報告が出来なくても、やさしくしてくれそうで……。その点、姉さんは」
「ぶ……、ぶち切れて叱られると思えば、危機感を持てる?」
「そうそれ!」
心を見透かすまでもない、昨年末に浴びなれた怒号を思い出して震え上がれば、刻阪は派手に噴き出した。
今頃フランスの地でくしゃみを連発していそうだ、かの美しきヴァイオリニストに、心の中で土下埋まる。
ただあの地獄耳に届いてぶち切れられる前に、オレの願い事については言い訳させてもらえまいか。
“神峰の願い事くらい言い当てられる”、奇しくも刻阪の言った通り、短冊に託す心のうちなど。
「『鳴苑の皆が、家に帰っていい報告が出来ますように。』”……ずるい! これ僕の短冊見ただろ!」
「見てねェよ!? オレもお前と似たようなこと考えてる、ってだけだ!」
たくさんの人の心が笹に結ばれて“見”える、七色の短冊のカーテンをひいた夕べに、振り返る――。
(音羽先輩の引退騒動を機に、病院演奏会で目の当たりにした親父さんの厳しさや。
吹越先輩の実の妹が、姉を倒すために他校でエースを張る、過熱するその原動力。
たった一人のきょうだいと三人の仲間とともに、不慮に抗った管崎先輩が背負う共感覚も。
世界の第一線を征く血を継いで、座を継ごうと憧れて、戦いの場に降り立ったライバルも。)
「吹奏楽部は、ガッコの部活動、なのにな。
家の事情まで踏み込んじまって、時間が解決したかもしれねェことも、オレが先回りしたようなもんで。
せめて、一年に一度のいい報告を持って帰るのは、皆だけの時間になれば……あ! おい、勘違いするなよ」
言葉を選びながらの説明の途中、不意に押し黙る刻阪の心の誤解に、オレは慌てて言葉を足す。
「オレん家が居心地悪ィとかじゃねェぞ。そりゃ、“目”のことは、未だに説明つかねェけど……、
もしもこの願い事が叶う時は、オレにとっての『いい報告』にもなれば、一番嬉しい。」
無意識に手に汗握る、強張りはしかし、嫌なものじゃない。
河の対岸に向かって叫ぶような隔たりを前に、喉は今にも枯れそうでも、耳を傾ける誰かがいる。
うれしい、と声に出して伝えれば、刻阪の方がよっぽど嬉しそうな心をするのが、何だかくすぐったい。
指揮者の真似してこより紐を振る子どもの、幼いその様にならって、道草食って遊んだりもして。
たちまち叶う願いでないなら、河沿い歩いて散歩がてら、一番星を目指すのだ。
どこまでも帰り道が続きますように、オレ達はゆっくり、隣どうしで帰路を行く。
そこに後ろ向きな心はない、ただもうちょっとの間、面と向かって手を振ることを惜しんでいたのだ。