かえだまミッション!

帰省中の同窓生に大学の友人も集まってのかしましい新年会、卒業を控えた腐れ縁に相談を持ち掛けられた。
ほんのり潤ませた上目使い、合わせて拝むマニキュアの指先、そんな色目に引っかかってなるものか。
いくつものジョッキを空にして口紅の薄くなった唇で「ゆうこせんせぇ、きいてぇ」なんて、
ほろ酔い加減の楓がこぼすは――ストーカーを倒すのを手伝ってほしい、なる突飛なお願いごと。

「はい、5W1Hがなってない。具体的にどう倒すのか、四小節でどうぞ」
「替え玉作戦よぉ。夕子ちゃんがあたしのカッコして囮役、そこをあたしが捕まえるって寸法。完璧よう」
「いや0点。むしろマイナス点。って、普通にあんたに近づいた奴をあたしが捕まえるのはどうなの」
「ダメ~。こないだ覚えたプロレス技犯人に試してみたいの、弟だと逃げられちゃうから」
「……。そもそも倒す必要は? あんたなら追っかけの一人や二人、いてもおかしくないでしょ」
「たまたま一人でいる時にぃ、物陰から足音やシャッター音が聞こえることがしょっちゅうあっても~?」

なるほど、あたしは頷いて飲みかけのグラスをあおる。
伊達に音楽を志していない、バイオリニストたる彼女の地獄耳……否、耳の良さはかなりのものがある。
たとえばストーカー犯があえて存在をちらつかせ不安を煽るタイプなら、わざとらしさに気付くだろう。
そうでないなら、犯人は恐らく、尾行を気付かれていることに気付いていないのだ。
各々で盛り上がるにぎやかな宴席をちらりと見渡して、さらに声量を落とした楓は続ける。

「キャンパス歩いてても、なんとなく視線を感じて振り返ったら、逃げてく人影見たことも何度か」
「黒ね。警察へどうぞ」
「まあ、聞いてってば。あと年末の誕生日、女友達ばっかで居酒屋でパーティした時も!お会計でさ、
お代はもう別の男性の方に頂きました、って言うのよ。あたしも誰も知らない、心当たりない人が」
「……つまりそのストーカーとやらが、ささやかに祝ってくれたと?」

それはかなり直接的な干渉だ。もちろん、複雑そうに眉根を寄せている彼女はオゴりを遠慮するような
殊勝な性格では決してない、ただいわゆる『あちらのお客様よりサービスです』ならまだしも、
顔も見えない相手に勝手に財布を出されていたのでは、おちおち飲み歩けないだろう。
いくら実害のない、ありがた迷惑のお節介とはいえ……というかそれこそ、つきまとわれてるって事だし。
ところが、楓の苛立ちの根本的な原因は、厳密には「ストーカーされてるから」ではないようなのだった。

「てゆーか、本当にあたしが好きなら――まずあたしの音について感想を述べなさいよ!
飲み代なんてどーでもいいっ、けど評価はね、こっちがお金払って聞きたいくらいなんだから!!」

猛獣のごとくに吠えてから糸が切れたようにテーブルに突っ伏す寝姿は、酒呑みとしてはほぼザルの彼女にしてはめずらしい、
と他の参加者もしきりに首を傾げている。我が道を行く気風の良さは持ち前のものだが、
修めた学業のこと、他者からの評価、そして微妙な計枠行為の重なった卒業前のこの時期だ、
表に出さずとも、彼女なりにストレスを溜め込んでいたのだろうか。
……ああ、かわいい後輩とハシャいで『きせかえごっこ』など、普通の自分なら、絶対に頷かないだろう。
つまり今は、普通じゃない。おめでたい空気に酔ったかもって、ひと肌脱ぐのもやぶさかではない。
 
 
数日ののち、作戦決行日であるバレンタインデーの夕刻、街は恋人同士でにぎわっていた。
『弟がもらって家で食べきれなくてさぁ』というチョコレートを差し入れにもらったのがいけなかったか、
楓に借りたジーンズは、若干ウエストがきつく愕然としてしまう。

(あのヤロ、飲み食いするカロリーはどこに消えるって言うの? それともこれが、若さってか!?)

とは言え、バイオリニストだって体力勝負なのは動かぬ事実。どうせボディラインはコートで誤魔化せる、
あとはメイクを似せた上からマスクをつけ、教師を始めたばかりだからと髪を黒く染めていたのも功を奏した。
そんなイメチェンに触発された楓が、変装の必要もないのにあたしの真似をしたいと言い出す思い付きももはや想定内だ。
演劇サークルから借りたという栗毛のウィッグをかぶってタイトなパンツスタイルを決める、
柄にもなくゲームのおそろいのアバターにでもなった気分で、ミッション開始――したのだが。

(うわあ、バレバレ……! まさか楓ったら、グルになって人をからかってんじゃないでしょうね?)

今まで特に不審だった時間帯とルートから日を選び、またバレンタインデーというイベント性でも
敵をおびき寄せやすそうだと、そろってトイレで着替えて“替え玉”でキャンパスを出たばかりだというのに。
まず“楓”に変装したあたしが先行し、三十メートルほど間隔を空けた後方から“夕子ちゃん”役の楓が
目星を付ける段取りで、開始早々で犯人はあぶり出された。彼の尾行のやり方が、あからさますぎたからだ。

(高校生にも見えるけど、学内に居たんなら一年かしら……)

フレームの太い眼鏡は鼻の頭からずり落ちかけて何度も押し上げているし、ただでさえ小柄な身体を
猫背にして人を追うものだから、たまたま同じ方角に向かって歩いているという自然さも全くない。
さらには操作しないまま右手に握りしめるだけのスマホが、隙あらば撮ろうとするためなのは明らかだ。

(ゲーマーが人のこと言えないけど、いかにもインドア派って感じだし……)

立ち止まって腕時計を確認してみたり、ほんの少し視線を左右へ動かすだけで、犯人は距離感を保ちきれずに
落ち着きなく街路樹に身を隠す。視界の端で捉えるのと通り過ぎるビルのガラスに映る景色で作戦成功を
確信すると同時に、こんなに尾行がヘタな輩にあの女傑が悩まされていたのかと思うと、情けなさに加えて
義憤の気持ちさえ芽生えてくるものだから、情が移ると言うのはつくづく恐ろしいことだ。
三歳差をものともせず懐いてくる無邪気さを冷たくあしらってきたが、先輩を頼る幼気さもあるのだな、なんて。

「そおらぁ、観念しなこんにゃろう!! はいカウントー、いーちっ、にーいっ、」
「うわわわギブですギブ! ってこっちが本物!? 負けました!!」
「……。そのへんで勘弁してあげな、楓。」

男子の哀れな悲鳴に思わず顔を覆い、せめてもの情けと楓を制しながら振り返る。
胸元にぎゅっと押し付ける形でヘッドロックをかける彼女を記念撮影しておくのは、警察沙汰になった時に証拠提出するためだ。
職業上面倒ごとには巻き込まれたくない、悪人顔の彼女こそ被害者でかわいそうな彼の方が犯人なのだと、
分かってもらえなかったら困るから。そうして“夕子ちゃん”になりきる楓は
――いままで見たことがないような笑顔で、凛々しくピースサインを決めるのだった。
 
 
外は寒いから、と首根っこを掴んで連行したカフェの隅っこのテーブルに陣取り、小一時間。
注文した三人分のコーヒーにまだ湯気の残るうちに、犯人くんはあっけないほど素直にすべて白状した。
つきまといに盗撮(やはり気付かれているのに気付いてなかった)、また居酒屋オゴり事件についても。
入学以来楓のファンになったものの表立って近づく勇気がなく、
「ほんの気持ち」だけがあらぬ方向に膨れ上がってしまい、相談出来る相手もなく、格好付けたいと先走ってしまった結果らしい。

「すみません……、おれ、刻阪先輩が大好きなのに、迷惑かけてしまって。本当にごめんなさいっ!」
「ふん。ごめんで済むなら絞殺はいらない」
「こら、刻阪! 口が悪い!」

あえて苗字で呼んでぴしゃりと叱ると、再びヘッドロックを試しかけていた楓は不満げにふくれている
(そんなに暴力的なら、女子レスラーでも目指したら。いや、音楽の才能は知ってるけれども)。
しかし憧れの人が目の前で怒られるのは我が身より辛いとばかり、
犯人くんがますます肩身狭そうに縮こまるので、それ以上は言葉を濁した。
ぬるまりかけたコーヒーの苦さに、パンケーキも頼めば良かったかな、とぼんやり思いながら。
いや、それだとただでさえ窮屈なウエストが……、いや、というかこいつ!

「どうして楓に捕まるまで替え玉に気付かなかったの。好きな人なんでしょ?」
「あ、それは違和感ありました、『今日はいつもより大人っぽい雰囲気だなぁ』と。
まさか谺先輩と入れ替わってる、とまでは考えが至りませんでしたが」

真剣に打ち明ける犯人くんと、うつむきがちに笑いをこらえて両肩を震わせている楓には閉口させられる。
気まずさに音を立ててコーヒーをすすると、楓はおもむろに姿勢を正し、でもね、ときっぱり言い放った。

「悪いけど、こっちゃあたしみたいなバカを追い回す奴の気が知れないの。だって卒業しても、
世界中までつきまとう気? フランスのワインもドイツのビールも、ご馳走してくれんの?」
「…………、」
「そういうワケで、立て替えてもらった飲み代はお返しします。気持ちだけでも、受け取れない。
――そしてこっちは、あたしの、ほんの気持ち。」

ハンドバッグから取り出した一枚の封筒を彼に握らせ、楓はつんとそっぽを向いてしまった。
 
 
「刻阪先輩、最高でした! やっぱりおれは――あなたの音が、大好きです!!」

ホワイトデーに催された演奏会の、アンコールにも応えた閉演後。
思う存分『彼女の音』を聴き終えてそう叫んだ彼は、これぞ替え玉かと疑ってしまうほどだった。
うじうじしていた以前とは別人のような正装に身を包み(出演者ならまだしもただの観客がバッチリ
決めすぎだ、そのへんのズレはこれから直すとして)、大きなバラの花束を抱えているものだから、
周りの客にはすわプロポーズかと勘違いされていることだろう。

そう、あの日楓が渡したものは、自身も時々出演して弾いている楽団の演奏会のチケットだった。
全国的なコンテスト受賞者もちらほら名を連ねるそこでは、昔からの縁で声がかかることがあるのだそうだ。
「作戦に協力してくれたお礼に」と同じく招待されなければ、
学外のことだ、オゴりならと気軽に足を運ぶ機会はなかったかもしれない。

そして華やかなステージ衣装から私服に着替えてロビーに出て来た楓は、顔を合わせるなり、
そんな出待ちの男子にたじたじだ。あれ以来犯人くんは『数多い知り合いの一人』にはランクアップしたらしいが、
そんな喜色満面の彼を楓はちょっぴり睨みつけて、トゲを含んだ声でぼやく。

「追っかけ癖、全然、治ってないじゃない!
差し引きチャラにするつもりで招待したのに、これじゃまるで、あたしが駆けつけて欲しかったみたい」
「いいえ、これはおれの気持ちですから、やっぱりおれが駆けつけたかっただけなんでしょう。
ただ確かに、世界中までは追いつけないので――ゆくゆくは、テレビにでも出てくださいよ!
他の人では代わりのきかない、僕の大好きな音を、お茶の間でも聴いてみたいんです。」
「……ああもお、ほーんと、勝手! 自分勝手! 言うだけならタダってやつ」
「ええ。すみません。だけど刻阪先輩には、言わずにおれなかった。――何処の国へ行っても、幸せに。」

「見せつけるねぇ」とでも茶化そうとした言葉は、喉まで出かかって消えてしまった。

学業から解放されて、見えなかった他人からの評価も、ようやく目に見えた彼女の眦にひと滴の涙が浮かぶ。
せめての情け、見ない振り。両手で抱えるのも精一杯の花束はそんな顔色をさりげなく隠すのに役に立っていて、
年下の男に泣かされたこんな日の夜、強気な彼女はどれだけ飲めばそれを忘れられるだろうと――
忘れることが難しそうな思い出を、メモリーにセーブしておこうと目を閉じた。
何はともあれ、ミッション・コンプリート。難易度高いクエストを終えたのだ、宴にかこつけ、乾杯しようか。

(「あ、最後にあとひとつお願いが! 一ヶ月前の“記念写真”、おれのスマホに転送してくれませんか」
「ええええこいつ全然懲りてない!夕子ちゃん、今は紳士だからって、盗撮犯に騙されちゃダメだからね」
「いいよ別に。あとちゃん付けはヤメロ」
「嘘っ!!? ゆ、夕子ちゃんのそんな優しそうな顔、初めて見たかも……」
「やった、ありがとうございます! 思い出にします!」
「楓、あんたにも送信しとくから。どこか遠くで泣きたくなっても、笑える写真があれば、ね。」)